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ハリー・ペイ(Harry Paye、? - 1419年)とは、プール(Poole)出身の私掠船の乗組員(海賊)、また密造酒の作り手としても知られた人物である。生年は明らかではないが、1419年に死去した。彼は、14世紀終盤- 15世紀初頭にかけて、イギリス5港 〔 イギリス5港(Cinque Ports)とは、 Hastings、Rommey、 Hythe、Dover、 Sandwichの5つの港。 これらは、イギリス南東部の海上防衛を担った特権港である。 なお後に、上記の5港にWinchelsea、 Ryeの2つの港が加えられた。 〕 の艦隊の司令官となった。 == 略歴 == ハリー・ペイは、フランスのノルマンディー地方から、フランスとスペインとの間に存在するビスケー湾(ビスケイ湾)、さらに、スペインのフィニステレ岬にかけての大西洋沿岸地域を荒らし回っていた海賊である。彼はヒホンの町やフィニステレ岬を焼き払い、沢山の人を捕えて身代金を要求した。さらに、1398年にはフィニステレ岬にあるセイントマリー教会(the Church of Saint Mary)を襲撃し、そこにあった貴重な十字架像(キリストが十字架に張り付けられている像)を盗み出した 〔 Sydenham, John (1986) "The History of the Town and County of Poole"(プールの町と周辺地域の歴史) p.90〜p.95 Poole Historical Trust. ISBN 0-9504914-4-6 〕 。 また彼は、ウェールズ地方で起きた反乱を支援するために派兵されたフランス海軍を撃破することで、この反乱の鎮圧にも一役買った 〔 Robert Southey (1833). "The British Admirals: With an Introductory View of the Naval History of England"(イギリス海軍の歴史入門編) p.15 Longman 〕 。 1405年に、フランスとスペインの連合艦隊が、ハリー・ペイによる襲撃の報復として、彼の出生地のプールの町を攻撃した。この攻撃に参加した兵士達は、プールの町の住人によって反撃されて撃退されるまでの間、略奪や放火を行った。この時、ハリー・ペイは防衛戦に関わらなかったため無事だったが、彼の兄弟がフランスとスペインの連合軍によって殺されている 〔 Sydenham, John (1986) "The History of the Town and County of Poole"(プールの町と周辺地域の歴史) p.90〜p.95 Poole Historical Trust. ISBN 0-9504914-4-6 〕 〔 "The Story of Poole (Page 3) "(プールの町の物語) Welcome to Poole(ようこそプールの町へ) 2008年版 〕 。 これに対してハリー・ペイは、1406年にフランスのブルターニュ半島に遠征し、大量の鉄、塩、油を奪い取ってきた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハリー・ペイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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