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近田春夫&ハルヲフォン(ちかだはるお と-、1972年 / 1974年 正式結成 - 1979年 活動停止 / 2006年 再結成)は、日本のニュー・ウェイヴ系ロックバンドである。近田春夫の作家性・批評性に負うところが大きい。 == 略歴・概要 == === 活動期 === 1972年(昭和47年)、近田春夫と恒田義見が中心となって結成された。当初のギターは松本恒男、ベースは佐伯正志であった〔恒田義見の公式ブログ「ROCK'N ROLL MY WAY」内の「ハルヲフォン誕生 」(2008年12月14日付)の記述を参照。〕。その後ベースに恒田の立教高等学校時代の後輩高木英一が加入、「デューク柏淵とビブラトーンズ」名義でも営業活動をした〔。ギターに小林克巳が加入し、1974年(昭和49年)、正式結成。当時はハルヲフォン名義。 内田裕也系のロックンロールやファンク系ディスコサウンドを追求しており、翌1975年(昭和50年)、キャロン・ホーガンをヴォーカルにシングル『FUNKYダッコNo.1』でキングレコードからデビューする〔CDコンピレーション・アルバム『ニューロックの夜明け 番外編9 キング・ニューロック・シングル集 ファンキー・ダッコNo.1』のライナーの記述を参照。〕。当時のメンバーは、近田、恒田、高木、小林、キャロン、長谷川の6人であった〔。この楽曲は、玩具業界戦後最大のヒットと言われた「ダッコちゃん」を、タカラ(現・タカラトミー)が復刻した際のタイアップ曲である。 また同年、近田は、クールスのデビューアルバムをプロデュースした〔「クールス」の項の記述を参照。〕。 1976年(昭和51年)、ファーストアルバム『COME ON LET'S GO』を発表する。同作には近田がクールスに提供した楽曲『シンデレラ』(1975年)をセルフカヴァーしたヴァージョンが収録されている。当時に準備していたGS(グループ・サウンズ)の企画ものカヴァー・アルバムは、同年11月にレコーディングされたが未発表となった。 1977年(昭和52年)、セカンドアルバム『ハルヲフォン・レコード』を発表する。同年、TBSテレビ『ぎんざNOW!』にレギュラー出演する。 1978年(昭和53年)、サードアルバム『電撃的東京』を発表する。本作は全篇、歌謡曲のカヴァーで満たされたコンセプト・アルバムである。 前年1977年10月から、ニッポン放送の深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』の「火曜2部」(1978年10月 - 1979年3月)のパーソナリティに就任し〔「オールナイトニッポンのパーソナリティ一覧」の項の記述を参照。〕、翌1978年、雑誌『POPEYE』(平凡出版、現マガジンハウス)で『THE 歌謡曲』の連載を開始〔「近田春夫」の項の記述を参照。〕、TBSテレビ『ムー一族』(1978年5月17日 - 1979年2月7日)に「ヘホ」役でレギュラー出演するなど、近田のソロ活動領域が増えるとともに、1979年(昭和54年)、活動を停止した。 『恋のグンギン・ナイト』という楽曲が1979年に発売されるとアナウンスされたが、実現しなかった〔この時期近田は、近田春夫&BEEFを結成しているが、それを発展解消させ、翌年にデビューを控えたジューシィ・フルーツのプロデュースに取り掛かっている。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近田春夫&ハルヲフォン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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