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ハル・ハートリー(Hal Hartley、1959年11月3日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の映画監督・脚本家・映画プロデューサー。インデペンデント映画界で有名。 パートナーは日本人女優の二階堂美穂で、ハートリー作品によく出演している。2000年以降も監督作はあるが、日本では未公開である。 長編作品の合間には短編やミュージック・ビデオ、舞台などの制作も行っている。また、ネッド・ライフルという筆名で自身の監督作の音楽も手掛けている。 == プロフィール == 1959年11月3日、ニューヨーク州ロングアイランド、リンデンハースト生まれ。4人兄弟の3男で兄2人と妹がいる。11歳のときに母親が死去し、その後は妹と親戚の家で暮らす。 1977年6月に地元のリンデンハースト高校を卒業。絵画に興味を持ちボストンのマサチューセッツ美術大学に入学。そこで映画製作に触れる。その後、学資金を稼ぐためニューヨークに戻りデパートの本屋やカメラ売場で働きながら、数本の8mm映画を自主製作する。1980年9月から1984年5月までニューヨーク州立大学パーチェス校で映画製作を専攻する。アラム・アヴァキアンのもとで脚本と演出について学びながら、ルネサンス文学と哲学を学ぶ。短編から彼のほとんどの作品の撮影の担当をしているマイケル・スピラーはこのときのクラスメイトである。在学中に後に彼の作品に携わることになるスタッフや俳優と出会う。卒業制作としてマイケル・スピラーと共同で33分の短編映画『Kid』を作成する。卒業後は父親の建設会社で働きながら、『The Cartographer's Girlfriend』、『Dogs』の2本の短編を監督。 1988年に初の長編映画『ニューヨーク・ラブストーリー』(The Unbelievable Truth)を製作。キャストのロバート・ジョン・バークや、撮影のマイケル・スピラーらの大学時代の仲間と共に、ハートリーは監督、脚本、編集の3役をこなした。製作費75,000ドル、地元リンデンハーストで11日間という短期間で撮影された低予算映画ながらも、映画祭では高く評価される。1990年にサンダンス映画祭で審査員大賞にノミネートされた。 1990年に長編2作目となる『トラスト・ミー』(Trust)を発表。前作で実力が評価されイギリスの制作会社Zenithの援助を受けて製作され、各国の映画祭で高評価を得た。この2作に出演したエイドリアン・シェリーの出世作となる。 1991年にはアメリカのテレビ局PBSによる、新進気鋭の映画監督の実験的短編作品を放送する番組「Alive from Off Center」で『アンビション』(Ambition)と『セオリー・オブ・アチーブメント』(Theory of Achievement)の2本の短編を製作。同じくPBSのアンソロジー番組「American Playhouse」では57分の『サバイビング・デザイア』(Surviving Desire)を製作した。この3本は日本でも『ハル・ハートリー短編集』としてビデオ発売された。 翌年1992年には長編3作目『シンプルメン』(Simple Men)を発表し、確固たるファンを確立することになる。この作品は第45回カンヌ国際映画祭でも上映された。その後も『愛・アマチュア』(Amateur)、『フラート』(Flirt)と立て続けに長編作品を発表。『フラート』では東京ロケも行われた。1996年に『フラート』に出演した日本人女優の二階堂美穂と結婚。 1997年、長編『ヘンリー・フール』(Henry Fool)を製作。1998年度カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。また、これまでネッド・ライフル名義で自作品の音楽を手掛けてきたが、本作品では本名でクレジットされている。 1998年、フランスのテレビ向けに『ブック・オブ・ライフ』(The Book of Life)を製作。全編デジタルビデオで撮影された。過去にハートリー作品に音楽を提供したことのあるPJハーヴェイやヨ・ラ・テンゴといったミュージシャンが出演している他、作家ウィリアム・S・バロウズも声のみ参加している。日本ではWOWOWで放送され、アップリンクからDVDも発売された。2000年にはドイツのTV番組「Erotic Tales」の1編『Kimono』を監督。主演は監督夫人である二階堂美穂で彼女が当時、英語の台詞に不慣れだったため一切の台詞を廃した作品である。 2001年には現代版「美女と野獣」とも言うべき作品『No Such Thing』を発表。この作品では製作総指揮を務めたフランシス・フォード・コッポラの援助と、ユナイテッド・アーティストとの配給契約により、これまでより多くの製作資金も得た。予算の増加により、キャストには怪物役のロバート・ジョン・バーク以外はサラ・ポーリー、ヘレン・ミレン、ジュリー・クリスティのような有名俳優を起用し、マーク・ラパポートによる特殊メイクや、アイスランドでのロケなどを実現し、ハートリー監督作品の中では最も規模の大きな映画となった。だが、第54回カンヌ国際映画祭のある視点部門で上映されたものの、好評価は得られなかった。 『No Such Thing』の商業的失敗の後、映画配給Possible Filmsを設立する。次回作が予め低予算かつ実験的作品になると分かっていたため、自由に作品作りを行うためである。そして2005年に制作されたのが『The Girl from Monday』である。企業に管理された未来社会を描いたハートリー監督初のSF作品で、DVDの販売はPossible Filmsが行った。また1994年から2004年の間に制作された短編を収録したDVD「Possible Films」も発売された。 2005年にドイツ、ベルリンに移住。翌年2006年に『ヘンリー・フール』の続編『Fay Grim』を製作。パーカー・ポージー主演のスパイ・スリラーでベルリン、パリ、イスタンブルなどで国際的なロケが行われた。2006年度トロント国際映画祭で上映された後、2007年5月18日にアメリカで劇場公開、その数日後の5月22日にDVDが発売された。 2008年に作曲家ルイ・アンドリーセンによるダンテの『神曲』を基にした舞台『La Commedia』の演出を手掛ける。ルイ・アンドリーセンとは短編『The New Math(s)』でも一緒に仕事をしている。 最新作はアトム・エゴヤン、フリオ・メデムなど6人の監督によるオムニバス映画『Moving the Arts』の1編の監督・脚本を担当し2010年にドイツでの公開が予定されていたが、制作資金を得ることができず企画倒れとなった。しかし、来年にかけて2本の映画をヨーロッパで撮影する予定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハル・ハートリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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