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ハロルド坂田(Harold "Toshiyuki" Sakata、1920年7月1日 - 1982年7月29日)は、アメリカ合衆国の日系人プロレスラー、映画俳優。ハワイ州ホノルル出身。日本名は坂田敏行(さかた としゆき)〔。 == 来歴 == プロレス入りする以前はボディビルで活躍し、1948年、ロンドンオリンピックの重量挙げにライトヘビー級のアメリカ代表で出場、銀メダルを獲得〔。1949年8月、地元のハワイにて、ハロルド坂田(Harold Sakata)のリングネームでデビュー〔。その後、オレゴン州ポートランド、ワシントン州シアトル、カナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバーなど太平洋岸北西部を主戦場に活動した〔。 アメリカでは日本をアピールする和服をコスチュームに使用するなど、終戦から10年も経っていないアメリカに根強く残っていた反日感情を利用し、日系アメリカ人ヒールのギミックを強調。1954年からはグレート東郷の弟、トシ東郷(Tosh Togo)を名乗り、タッグチーム「トーゴー・ブラザーズ」を結成。同年7月8日にトロントにてホイッパー・ビリー・ワトソン&テキサス・マッケンジーからNWAカナディアン・オープン・タッグ王座を、1956年4月29日にはホノルルにてロード・ブレアース&ジン・キニスキーからNWAハワイ・タッグ王座をそれぞれ奪取した。 1951年9月の来日時、ナイトクラブで力道山と喧嘩になり、それが縁で力道山をスカウト〔。アジア選手権大会のタッグ部門に力道山と組んで出場した。以降、1955年10月、1957年9月に日本プロレスに参戦。1961年5月には、ミスターX、カール・クラウザー、グレート・アントニオ、ロニー・エチソンらが参加した第3回ワールド大リーグ戦に日系代表として出場している。 1964年、映画『007 ゴールドフィンガー』に出演。悪役ゴールドフィンガーの部下で、ツバに刃物を仕込んだ山高帽を投擲する朝鮮人用心棒のオッドジョブ(Oddjob)を演じた〔。同作品の世界的なヒットにより坂田は一躍有名な存在となり、以降20年にわたり俳優として映画やテレビに出演。その多くはオッドジョブのような用心棒役で、オッドジョブのままで出演している映画もある(咳止め薬「ヴィックス・フォーミュラ44」のCMにもオッドジョブ役で出演した)。 1968年2月には国際プロレスに来日。1972年7月に新日本プロレスに来日した際には、トレードマークの山高帽を手に、オッドジョブのギミックで日本陣営に入って活躍した。アメリカでもキャリア晩年の1974年、AWAに同様のギミックで出場し、ダスティ・ローデス、スーパースター・ビリー・グラハム、グレッグ・ガニア、バロン・フォン・ラシクなどと対戦している。翌1975年にはプエルトリコのWWCにて、10月4日にミゲル・ペレスを破りWWCプエルトリコ・ヘビー級王座を獲得、55歳でのタイトル戴冠を果たした〔。 1982年7月29日、ホノルルにて癌のため死去〔。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハロルド坂田」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Harold Sakata 」があります。 スポンサード リンク
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