|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
ハロルド・スミス(, 生没年不明)は、アメリカ合衆国の撮影監督、撮影技師である〔Harold Smith, Internet Movie Database , 2010年7月23日閲覧。〕。ジェイ・マーチャント、アルフレッド・ゴズデンらとともに来日し、阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画に派遣されたユニヴァーサルの技術者である。 == 人物・来歴 == 生年生地不明。 時期は不明であるが、1920年代までにユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に入社し、撮影部に所属する〔。1916年(大正5年)以来、日本市場に進出していたユニヴァーサルは、1926年(大正15年)9月、独立直後の若手スター俳優阪東妻三郎と組んで、製作会社「阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画」を日本に設立、カール・レムリが日本に送り込んだスタッフの1人として、監督のジェイ・マーチャント、撮影技師のアルフレッド・ゴズデンらとともに同年10月4日に横浜港に上陸している〔モダニズムの成立 、小松弘、早稲田大学、2010年7月23日閲覧。〕。1927年(昭和2年)1月28日に公開された山上紀夫監督の『切支丹お蝶』には、移動撮影の技師として、同年2月10日に公開された鈴木重吉監督の『青蛾』には鈴木博と連名で撮影技師として、それぞれクレジットされている〔〔ハロルド・スミス、日本映画データベース、2010年7月23日閲覧。〕。同社は同年5月末には契約解除となり、スミスら技師たちは帰国となった〔。 帰国翌年の1928年(昭和3年)、エドワード・スローマン監督のサイレント映画『情熱の砂漠』の撮影技師として、ジャクソン・ローズとともに名を連ねている〔Harold Smith, キネマ旬報映画データベース、2010年7月23日閲覧。〕〔情熱の砂漠 、キネマ旬報映画データベース、2010年7月23日閲覧。〕。1929年(昭和4年)に公開されたトーキーによるドキュメンタリー映画 ''The Devil's Pit'' の撮影にウィルフレッド・M・クラインとともに名を連ね〔〔タランガ 、キネマ旬報映画データベース、2010年7月23日閲覧。〕、同作のサイレント版 ''Under the Southern Cross'' 〔, 2010年7月23日閲覧。〕は『タランガ』のタイトルで日本でも公開されている〔。 トーキー時代にも、ユニヴァーサル撮影部の技術者として現場に参加している〔。1938年(昭和13年)には、日本の田坂具隆監督の『五人の斥候兵』がイタリア民衆文化大臣賞を受賞した第6回ヴェネツィア国際映画祭で、アメリカ合衆国代表の審査員を務めた〔。 1944年(昭和19年)以降の作品歴・消息はわからない〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハロルド・スミス (撮影監督)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|