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ハンギョレ民主党(はんぎょれ みんしゅとう)は、第六共和国時代初期に存在した韓国の進歩主義政党である。民主化運動をリードしてきた在野勢力で野党の大統領候補単一化(一本化)を主張してきたグループが集まって1988年3月29日に結成された(政党登録は4月6日)。常任代表委員は芮春浩(イェ・チュンホ)。なお、ハンギョレ民主党の「ハンギョレ」は韓国語で「一つの同胞(はらから)」若しくは「一つの民族」という意味である。 == 沿革 == 「新政治の集い」の代表である諸廷坵(ジェ・ジョング)とハンギョレ社会研究所の芮春浩(元民主共和党議員、1969年の3選改憲の際、これに反対したため同党を除名された)による新党結成推進協議会と在野圏統合推進グループが結集して結成、1960年代後半~70年代に学生運動をしてきた人達がハンギョレ民主党の中心メンバーとなった。 結党大会では今日の韓国の政治状況について「理念的信奉とか革新ではなくて、民族対反民族、民衆対軍部独裁、統一対分断、歴史の発展停滞、平和対暴力、真理対不義が対立している。そのどちらかの一方に立たなければならない時点にきていることを強調して、党の基盤と方向については、大衆性と民主性及び新しい世代の党をめざす」とし、「腐敗しきった政治的な現実を打開し、国民の現実に沿った新しい政治を立て直す為に、ハンギョレ民主党の第一歩を踏み出す」と宣言、自主・民主・統一を核心とする十大綱領と五大基本綱領を採択した。 第13代総選挙では68名(地域区63名+全国区5名)〔『大韓民國政黨史 第3輯』1234頁〕の候補者を立候補させるも、得票率は1.2%、当選者は全羅南道新安区の朴亨午(パク・ヒョンオ)のみで、その朴氏も当選直後に離党して金大中(キム・デジュン)率いる平和民主党に移った為、国会への進出は事実上果たすことが出来なかった。いちおう当選者は出したため、政党登録自体は抹消されなかったが、党としての政治活動はほとんど行われなかった。選挙後、1989年11月10日に、別の進歩主義政党である「民衆の党」と統合して「進歩的大衆政党建設の為の準備会」を発足させ、1990年7月に民衆党を創党させるに至った。1991年3月15日に登録が抹消された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハンギョレ民主党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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