翻訳と辞書
Words near each other
・ ハンニバル・レクター
・ ハンニバル戦争
・ ハンニャ
・ ハンニョウル駅
・ ハンニ・ウェンツェル
・ ハンニ・ウエンツルン
・ ハンヌ
・ ハンヌ・カレヴィ・マンニネン
・ ハンヌ・シートネン
・ ハンヌ・ティヒネン
ハンヌ・マンニネン
・ ハンヌ・ミッコラ
・ ハンヌ・ライアニエミ
・ ハンヌ・リントゥ
・ ハンネス・アルヒ
・ ハンネス・アルベーン
・ ハンネス・コーレマイネン
・ ハンネス・シュテルツァー
・ ハンネス・シュナイダー
・ ハンネス・マイヤー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ハンヌ・マンニネン : ミニ英和和英辞書
ハンヌ・マンニネン
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ハンヌ・マンニネン : ウィキペディア日本語版
ハンヌ・マンニネン

ハンヌ・カレヴィ・マンニネンHannu Kalevi Manninen1978年4月17日 - )は、フィンランドラッピ州ロヴァニエミ出身のノルディック複合クロスカントリースキー選手である。ニックネームはユヒス(''Juhis'')。

==戦歴==
ノルディックスキージュニア世界選手権では1994年から1996年の3大会で金メダル1個、銀メダル2個を獲得。
1994年、15歳でリレハンメルオリンピックに出場、その3年後の1997年ノルディックスキー世界選手権4x5km団体で銀メダルを獲得。オリンピック世界選手権を通じて初のメダルとなった。世界選手権ではこの他に、1999年大会の団体、2007年大会の個人スプリント、団体で金メダルを獲得。2001年大会2003年大会では銅メダルを一つずつ獲得した。
オリンピックでは、1998年長野大会の団体で銀メダル、2002年ソルトレイクシティ大会の団体で金メダルを獲得。2006年のトリノ大会でも団体で銅メダルを獲得している。ソルトレイクシティオリンピックではクロスカントリースキーの個人スプリントにも出場、8位となっている。
ノルディック複合・ワールドカップには、1993-94シーズンから参加。通算45勝、2003-04シーズンから2006-07シーズンまで、個人総合4連覇を達成している(いずれも歴代最多)。また、ホルメンコーレン・スキーフェスティバルの個人スプリント種目で2002年、2004年、2005年の3度優勝している。
このような実績を持ちながらも、上記の様に、オリンピック、世界選手権でのメダルは団体種目に偏っており、個人種目(15km個人、7.5kmスプリント)の金メダルには長らく縁がなかった。しかし、2007年札幌大会の個人スプリント種目で念願の金メダルを獲得した。また、この大会では妹のピルヨ・ムラネンクロスカントリースキーの4x5kmリレーで金メダルを獲得している。
2008年3月に長男が誕生〔〕、同年5月29日、30歳の若さで現役引退を突如表明した。今後は航空パイロットへの転身を希望しているということである〔マンニネンが現役引退を表明 サンケイスポーツ 2008年5月30日閲覧〕。
しかし、2009年8月に引退を撤回して競技に復帰、11月28日クーサモでの復帰初戦となるワールドカップ個人第1戦で2位となると翌11月29日の個人第2戦で通算46度目の優勝を果たした。1月2日のオーベルホフで通算47勝目をあげて自身6度目のオリンピックとなるバンクーバーオリンピックにおけるノルディック複合競技に臨んだ。
初戦のノーマルヒル+10kmでは13位、団体戦では7位に甘んじて迎えた最後の種目ラージヒル+10kmでは前半ジャンプで16位と出遅れた。後半クロスカントリーでは4位のタイムで追い上げたがメダルに届かず4位に終わった。
3月6日、ラハティでのラージヒル+10kmでワールドカップ通算最多勝利を48(2位27回、3位15回)に伸ばし、ワールドカップ総合8位でシーズンを終えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハンヌ・マンニネン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.