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ハンプトン・ローズの戦い : ミニ英和和英辞書
ハンプトン・ローズの戦い[たたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ローズ : [ろーず]
 【名詞】 1. rose 2. (n) rose
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ハンプトン・ローズの戦い ( リダイレクト:ハンプトン・ローズ海戦 ) : ウィキペディア日本語版
ハンプトン・ローズ海戦[はんぷとん ろーずかいせん]

ハンプトン・ローズ海戦(ハンプトン・ローズかいせん、Battle of Hampton Roads)、別名モニターとメリマックの戦い(the Battle of the ''Monitor'' and the ''Merrimack'')は南北戦争中に生起した海戦。この海戦は鉄板で装甲された動力軍艦(すなわち装甲艦)同士の歴史上最初の戦いとして有名であり、アメリカ合衆国海軍の革新的な設計の装甲艦「モニター」とアメリカ連合国海軍の装甲艦「バージニア」(これは合衆国軍艦「メリマック」の焼けた船体を改造したものである)が交戦した。主要な海戦は1862年3月8日から9日にバージニア州ハンプトン・ローズ河口付近のシーウェルズ・ポイント (Sewell's Point) 沖で行なわれた。
戦闘は二日間続いた。一日目はバージニアの初登場であり、モニター抜きでの戦いだった。北軍の木造艦群は大損害を受け、その日は南軍の決定的優位のままに終わった。しかしながら、二日目にはモニターが到着し、「装甲艦の決闘」として知られる有名な戦闘が始まった。明確な勝敗は付かなかったが、海戦史において深い意義を持つ戦闘となった。この戦い以前にはほとんど全ての軍艦が木材を主な材料として造られていた。この戦いの後、船と海戦の様相は劇的に変化した。世界中の国家が自国の艦隊を先を争って鉄製に変えたのである。なぜなら敵の砲撃に耐える能力において、装甲艦が木造艦より優れていることが明白に証明されたからである。
== リンカーンのハンプトン・ローズ封鎖の試み ==
南北戦争の勃発当初から、合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは合衆国を脱退した南部の州を合衆国に戻す計画を実行した。彼は強力な合衆国の海軍を用い、アメリカ連合国の大西洋メキシコ湾沿岸を封鎖しようとし、戦争が激化すると封鎖を命じた。
1861年春、地上兵力主体の南軍はバージニア州ノーフォークに迫り、ハンプトン・ローズの南側の地域を包囲した。合衆国海軍はノーフォークからエリザベス川を挟んだ対岸にあるポーツマスゴスポート造船所を焼き払い撤退した。この際、造船所に残っていたフリゲート「メリマック」を含む9隻の船が破壊された。しかしながら、軽率さと混乱のため、メリマックは吃水線より上側が燃えたに過ぎなかった。
この撤退により、ハンプトン・ローズ周辺で合衆国が支配しているのは北側のバージニア半島、オールド・ポイント・コンフォート (Old Point Comfort) のモンロー砦 (Fort Monroe) のみとなった。海峡は北に向かって狭まっていたが、本土のモンロー砦は海峡の南にある人工島(後の羊毛砦 (Fort Wool) )の軍事基地によって補佐されていた。(※?
ノーフォークの占領は南部連合に唯一の大型造船所と数千の重火器を与えた。南軍准将ウォルター・グウィン(ノーフォーク周辺の防衛を指揮した)はノーフォークを守り、ハンプトン・ローズを制するという二つの目的でシーウェルズ・ポイントに砲台を建設した。
合衆国は封鎖を実行するために木造軍艦の艦隊をハンプトン・ローズに急派した。羊毛砦とモンロー砦はハンプトン・ローズから、チェサピーク湾と大西洋という二つの経路でしっかりと結合していた。しかしながらジェイムズ川とエリザベス川という内陸の水路は連合国海軍(こちらも木造艦を使っていた)が制していた。小競り合いはあったが、どちらの海軍も相手を打ち負かすことができなかった。1861年の残りと1862年の序盤を通じて、膠着が続いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハンプトン・ローズ海戦」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Hampton Roads 」があります。




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