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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ハーディービジョンは日本の競走馬。1983年の朝日杯3歳ステークスなど重賞競走を2勝。翌1984年のクラシック戦線を前にシンボリルドルフ、ビゼンニシキとともに「関東三強」と称されたが、両馬と対戦のないまま故障で引退した。主戦騎手は的場均。 ※馬齢は2000年以前に使用された旧表記法(数え年)で統一して記述する。 == 戦績 == 1983年6月、札幌開催の新馬戦でデビュー。調教で際立った動きを見せて厩舎関係者の間でも注目を集める1頭であった。的場均を鞍上に、スタートからの逃げ切りで2着に4馬身差を付けて初戦勝利を収める。しかし次走の札幌3歳ステークスの競走前から骨膜炎の兆候が表れ、本競走は12着と大敗。次走の函館3歳ステークスも先行策から失速し、5着に終わる。 その後骨膜炎が治まり、11月に京成杯3歳ステークスに出走。大器と評判のあったサクラトウコウや、デビュー2戦をレコードタイムで圧勝していた牝馬・マリキータに人気が集中する一方、本馬は10番人気と低評価であった。不良馬場で行われた本競走で、的場はそれまでの先行策から一転した後方待機策を採る。直線では大外からマリキータを差し切り、1馬身半差を付けて優勝。重賞初勝利を収めた。 12月に迎えた関東の3歳王者戦・朝日杯3歳ステークスでは、サクラトウコウが故障により不在、良馬場で巻き返しを期待されたマリキータが単勝オッズ1.7倍という圧倒的1番人気に推され、本馬はこれに次ぐ2番人気となった。レースは前走と同じく後方に控えると、直線で先行勢を一気に交わして優勝。重賞2連勝を遂げた。推定の上がり3ハロン34秒9は、当時の3歳馬としては破格のタイムであった。しかし当年の年度表彰では、関西の阪神3歳ステークスを制し、5戦4勝・2着1回という好成績を収めたロングハヤブサが最優秀3歳牡馬に選ばれ、ハーディービジョンは無冠となった。 朝日杯の後は翌年のクラシックに備えて休養に入る。復帰までの間に、関東ではビゼンニシキ、シンボリルドルフという新勢力が台頭し、これにハーディービジョンを加えた「関東三強」がクラシックの中心と目された。この3頭は皐月賞への前哨戦・弥生賞での初対戦が有力視された。しかしハーディービジョンは同競走への調整中であった2月、調教へ向かう際に地面に張った氷で脚を滑らせ、左前脚の靱帯を損傷。クラシックを断念し、長期休養を余儀なくされた。この後のクラシックはシンボリルドルフの独擅場となり、同馬は日本競馬史上初となる無敗での三冠を達成している。 陣営はハーディービジョンの再起を図って試行錯誤を重ねたが、再びレースに出走することはできず、1987年2月に競走生活から退いた。的場は1994年に行われたインタビューの中で、「もう一度乗ってみたい馬」としてハーディービジョンの名を挙げ、「相手がルドルフでも何とかなるんじゃないかという手応えを、僕自身持っていました」、「スピードもあったし、パワーもありました。(中略)新馬を使う前から、これは札幌の3歳Sはもらったって、僕は言ってたんです。その後ソエ(骨膜炎)が出てしまったんですが、そのくらい期待していましたし、クラシックを意識してましたね」と語っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハーディービジョン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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