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バコン
バコン(Bakong、)は、カンボジアにおける現代のシェムリアップに近いアンコールにおいて、クメール王朝の統治者によって構築された砂岩の山岳型寺院()である〔。9世紀末の十数年間、今日、と呼ばれている地域に位置した古代の都において〔、王(在位877-889年〔)の国家寺院としての役割を果たした〔石澤 (1996)、49-50頁〕。 == 歴史 == 西暦802年、アンコール朝の初代の王が、カンボジアの主権を宣言した。曲折の後、ジャヤーヴァルマン2世はにおいて彼の都城(首都)を制定した〔石澤 (2005)、43-51頁〕〔ダジャンス (2008)、17頁〕。数十年後、王の後継者は、アンコールにおける砂岩の最初の山岳型寺院として〔Glaize (1993), p.195〕、バコン寺院を段階的に構築した〔Dumarçay et al. (2001), p.50〕。石碑(分類 K.826)の碑文は、881年、王インドラヴァルマン1世がシヴァ神に寺院を捧げ、その中心に宗教的象徴であるリンガとして、その名前を王 (Indravarman) 自身と、シヴァ神 ("Iśvara") を表す接尾辞 "-esvara" の組み合わせであるインドレシュヴァラ神 (''Sri Indresvara'') を奉献したと述べている〔Freeman, Jacques (2006), p.198 ff.〕〔石澤 (2005)、60-61頁〕。によると、(devarāja、神王)崇拝は、王権の正当性として神による王政という構想より成立したとするが、後の著者は、それは必ずしも統治者自体の物理的な人物の崇拝を伴わないと述べている〔Tarling (2006), p.324〕〔ダジャンス (2008)、153頁〕。 バコンは、わずか数年間、アンコールの国家寺院としての地位を享受したが、12世紀中頃〔石澤 (2005)、60頁〕ないし13世紀の後の造築は、それが放棄されなかったことを証明している。9世紀末にかけて、インドラヴァルマンの息子かつ後継者のヤショヴァルマン1世は、ハリハラーラヤから、現在アンコールとして知られるシェムリアップの北部地域に都城を移し、ここで彼はバケンと呼ばれる新しい山岳型寺院を中心に新都を建てた〔石澤 (2005)、63-73頁〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バコン」の詳細全文を読む
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