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イスラム革命防衛隊(イスラムかくめいぼうえいたい、ラテン文字転写:''Sepah-e Pasdaran-e Enghelab-e Islami'')は、イランの軍隊のひとつ。 1979年のイラン・イスラム革命後、旧帝政への忠誠心が未だ残っていると政権側から疑念を抱かれた従来の正規軍であるイラン・イスラム共和国軍への平衡力として創設されたイラン・イスラム共和国の軍事組織。正規軍(英:Artesh)と並行して独自の陸軍、海軍、空軍、情報部門、特殊作戦部門を有し、また弾道ミサイル部隊や戦時には数百万人単位で大量動員できる民兵部隊バスィージ(英:Basij)も管轄している。さらに多数の系列企業を持っている〔WSJ:西側企業に立ちはだかるイランの革命防衛隊 〕。 革命防衛隊は国防省ではなく革命防衛隊省の統制下にある。前イラン大統領であるマフムード・アフマディーネジャードもイスラム革命防衛隊の一員であった。 == 概要 == ルーホッラー・ホメイニーの帰国後、1979年5月5日、その命令によりイスラム革命防衛隊が設立された。当初、イスラム革命防衛隊の任務は、革命を防衛し、イスラムのシャリーアと道徳の執行において法学者を援助する〔ここでは文字通り、法学者としか訳せない「ファギーフ」を援助すると規定されている。「イスラム知識人」や「ウラマー」(アラビア語:علماء ʿulamāʾ)などをどう訳すかについては議論がある(これについてはウラマーを参照)がここでは関係ない。しかしながらウラマーをどう訳すかという問題とは別に、イランにおけるシーア派十二イマーム派オスーリー派においては19世紀以降位階制ともとれる状況が発生しており、ペルシア語「アーホンド」は日本語で言う「坊主」に近い言葉となっている。このような点から、イスラームにおけるウラマーのあり方をすべて「聖職者」ととるのは、キリスト教における信徒と聖職者の厳然たる境界を思い起こさせるもので必ずしもふさわしいとはいえないが、現代イランにおけるウラマーやファギーフ(=法学者)については、学術的にも「聖職者」の語は必ずしも失当とはいえない。〕こととされ、法学者に直属する組織として計画された。12人の議員から成る革命会議は、3万人の革命防衛隊員を指揮し、革命防衛隊総司令官には、アーヤトッラー・ラフティ、その参謀長には、ハーシェミー・ラフサンジャーニーとゴラームアリー・アフロウズが任命された。 この控えめな始まりから、革命防衛隊は次第に拡大し、正規軍に匹敵する戦力となった。1986年には、35万人にまでなり、小さな海上部隊と航空部隊をも獲得した。 英語圏での多くのメディアでは「Islamic Revolutionary Guards」、または単に「Revolutionary Guards」と呼ばれている。アメリカ合衆国のメディアでは「Islamic Revolutionary Guard Corps、IRGC」、イギリスでは「Iranian Revolutionary Guard、IRG」と呼ばれる。現在の総司令官は、2007年9月1日に前任のヤフヤー・ラヒーム・サファヴィーからモハンマドアリー・ジャアファリーに引き継がれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イスラム革命防衛隊」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Army of the Guardians of the Islamic Revolution 」があります。 スポンサード リンク
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