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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
"アバランシュ" バズ・タイラー("Avalanche" Buzz Tyler、1946年〔 - )はアメリカ合衆国の元プロレスラー。サウスカロライナ州スパータンバーグ出身。 現役選手時代はヒールのラフ&パワーファイターとして、中西部や南部などNWAのローカル・テリトリーで活躍した。 == 来歴 == 日本におけるプロフィールでは、1966年にカロライナ地区でデビューしたとされる〔。1976年下期より、NWFの残党が参画していた独立団体IWAのカロライナ地区での興行にて、リップ・タイラーのパートナーとなって活動、ジョニー・パワーズ、ブルドッグ・ブラワー、マイティ・イゴール、マクガイヤー・ブラザーズなどと対戦した。 IWA崩壊後はテネシーのNWAミッドアメリカ地区に参戦し、ミスター・レスリング2号、ペッツ・ワトレー、トージョー・ヤマモト、ボビー・イートン、ラニー・ポッフォらと対戦。1978年2月22日にはダッチ・マンテルに代わるジプシー・ジョーの新パートナーに起用され、ミッドアメリカ・タッグ王座を獲得した。 その後はミズーリおよびカンザスのNWAセントラル・ステーツ地区に入り、ボブ・スウィータンやルーファス・ジョーンズと抗争。1980年8月8日には、ニューヨークから同地区に遠征してきたボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦している。1981年4月1日にはブルドッグ・ボブ・ブラウンからセントラル・ステーツ・ヘビー王座を奪取。後にブラウンとはタッグを組み、デューイ・ロバートソン&ハーキュリーズ・ヘルナンデスなどのチームを破ってセントラル・ステーツ・タッグ王座も再三獲得した。 1981年下期から1982年にかけては、エディ・グラハムが主宰していたNWAフロリダ地区にて活動。ドリー・ファンク・ジュニアやボビー・ジャガーズ、オックス・ベーカー、そして当時ヒール修行中だったデビッド・フォン・エリックとも共闘し、ダスティ・ローデス、ジャック・ブリスコ、ジェリー・ブリスコ、バグジー・マグロー、ブライアン・ブレアー、スウィート・ブラウン・シュガー、ブッチ・リードらと抗争を展開した。 1983年8月、全日本プロレスに初来日。翌1984年の再来日ではタイガー・ジェット・シン軍団の一員となり、シリーズ最終戦の6月14日にシン、上田馬之助、鶴見五郎と組んで、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、プリンス・トンガの全日本軍と後楽園ホールにてエリミネーション・マッチで対戦した。前日の6月13日には、大阪府立体育館にて鶴見と組んで阿修羅・原&石川隆士のアジアタッグ王座にも挑戦している〔『1945-1985 激動のスポーツ40年史 (6) プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P157(1986年、ベースボール・マガジン社)〕。 その間、アメリカではセントラル・ステーツ地区を主戦場に、1983年10月20日にスーパー・デストロイヤー、1984年2月9日にタリー・ブランチャードを破り、セントラル・ステーツ・ヘビー王座に返り咲いている〔。1984年9月12日にはテネシーでのタッグパートナーだったジプシー・ジョーから同TV王座を奪取したが、翌月の10月13日にマーティ・ジャネッティに敗れてタイトルを失った。 以後、ジム・クロケット・ジュニアの管理するNWAミッドアトランティック地区に主戦場を移し、1984年12月にはワフー・マクダニエルのUSヘビー級王座に連続挑戦〔。同地区ではベビーフェイスのポジションに回り、ジミー・バリアントらのパートナーとなって悪党マネージャーのポール・ジョーンズ率いるヒール軍団と抗争。1985年3月16日にはロン・バスからミッドアトランティック・ヘビー級王座を奪取。7月16日開催のグレート・アメリカン・バッシュではマニー・フェルナンデス&サム・ヒューストンと組み、ポール・ジョーンズ・アーミーのアブドーラ・ザ・ブッチャー、スーパースター・ビリー・グラハム、コンガ・ザ・バーバリアンと6人タッグマッチで対戦した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バズ・タイラー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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