|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 公 : [こう] 1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
コバム子爵()は、イギリスの子爵位。グレートブリテン貴族。 陸軍軍人第4代準男爵リチャード・テンプルが1718年に叙されたのに始まる。彼の妹とクリスティアンへの特別継承権が認められた爵位であり、はじめヘスターの子孫であるグレンヴィル家、ついでクリスティアンの子孫であるリトルトン家に継承されて現在に至っている。グレンヴィル家はバッキンガム=シャンドス公爵などさらに上級の爵位に叙された。一方リトルトン家にとってはこの爵位が最上位爵位である。 == 歴史 == ストーのテンプル準男爵家の第4代当主リチャード・テンプル(1669–1749)は、陸軍軍人として初代マールバラ公ジョン・チャーチルの指揮下でスペイン継承戦争を戦い、四カ国同盟戦争ではイギリス軍の指揮官を務めた。戦功により1718年5月23日にグレートブリテン貴族爵位「初代コバム子爵 (Viscount Cobham)」と「ケント州におけるコバムの初代 (Baron Cobham, of Cobham in the County of Kent)」に叙せられた。また彼には子供がないことが考慮され、この2つの爵位は妹の(1690頃-1752)(と結婚)とクリスティアン(-1748)(第4代準男爵と結婚)への特別継承権を認めていた。 そのため、1749年9月13日に初代子爵が死去した際、庶民院議員リチャード・グレンヴィルと結婚していたヘスターが第2代コバム女子爵位を継承した。さらに彼女は同年10月18日にグレートブリテン貴族爵位「(Countess Temple)」に叙せられた。 ヘスターの死後、彼女の長男である(1711–1779)が第2代テンプル伯爵位と第3代コバム子爵位を継承した。彼は後にテンプル姓を加えて「グレンヴィル=テンプル」に改姓している。しかし彼には男子がなかった〔。 一方ヘスターの次男であるジョージ・グレンヴィル(1712-1770)はホイッグ党の政治家として政界の中枢で活躍し、1763年から1765年にかけて首相を務めている。彼は4人の男子に恵まれた。そのため1779年9月12日に2代テンプル伯が死去するとジョージの同名の長男であるジョージ・グレンヴィル(1753–1813)が第3代テンプル伯爵位と第4代コバム子爵位を継承した。彼はこの継承の際にテンプル姓や妻の実家の家名を加えて「ニュージェント=テンプル=グレンヴィル」に改姓している〔。彼は小ピット政権で閣僚職を歴任し、1784年12月4日に「バッキンガム侯爵(Marquess of Buckingham)」に叙せられ、また1788年10月13日には岳父(妻の父)から特別継承権でアイルランド貴族爵位の第2代位を継承している。ちなみに彼の弟である初代グレンヴィル男爵ウィリアム・グレンヴィルも政界で活躍し、1806年から1807年にかけてフォックスと連携してを組閣して首相を務めたことで知られる。 1813年2月11日に初代バッキンガム侯が死去し、その長男である(1776–1839)が第2代バッキンガム侯爵位・第4代コバム子爵位を継承した。彼は1799年に妻の実家の家名(ブリッジス)と爵位名(シャンドス公爵)を加えて「テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル」と改姓し、さらに1822年2月4日には連合王国貴族爵位「バッキンガム=シャンドス公爵(Duke of Buckingham and Chandos)」と「シャンドス侯爵(Marquess of Chandos)」と「(Earl Temple of Stowe)」に叙せられた。 彼の孫である第3代バッキンガム=シャンドス公(7代コバム子爵)リチャード(1823–1889)が1889年3月26日に男子なく死去した際、バッキンガム=シャンドス公爵位、シャンドス侯爵位、バッキンガム侯爵位、テンプル伯爵位など多くの爵位が廃絶したが、コバム子爵位は初代コバム子爵の妹クリスティアン・リトルトン(-1748)の家系も継承可能だったため、クリスティアンの玄孫にあたる第5代(1842–1922)が、第8代コバム子爵位を継承した〔。 リトルトン家はコバム子爵位を継承する前から「ウスター州におけるフランクリーのリトルトン男爵 (Baron Lyttelton, of Frankley in the County of Worcester)」(1794年8月13日創設グレートブリテン貴族)と「ロングフォード州におけるバリーモアのウェストコート男爵 (Baron Westcote, of Ballymore in the County of Longford)」(1776年4月29日創設のアイルランド貴族)、そしてイングランドの準男爵位を保持していた。 10代コバム子爵チャールズ・リトルトン(1909–1977)は1957年から1962年にかけてニュージーランド総督を務めた〔。 2015年現在の当主はその次男である12代コバム子爵(1947-)である〔。 本邸はウェスト・ミッドランズの〔。家訓は「一人の神、一人の王(Ung Dieu, Ung Roy)」〔''(Countess Temple)」に叙せられた。 ヘスターの死後、彼女の長男である(1711–1779)が第2代テンプル伯爵位と第3代コバム子爵位を継承した。彼は後にテンプル姓を加えて「グレンヴィル=テンプル」に改姓している。しかし彼には男子がなかった〔。 一方ヘスターの次男であるジョージ・グレンヴィル(1712-1770)はホイッグ党の政治家として政界の中枢で活躍し、1763年から1765年にかけて首相を務めている。彼は4人の男子に恵まれた。そのため1779年9月12日に2代テンプル伯が死去するとジョージの同名の長男であるジョージ・グレンヴィル(1753–1813)が第3代テンプル伯爵位と第4代コバム子爵位を継承した。彼はこの継承の際にテンプル姓や妻の実家の家名を加えて「ニュージェント=テンプル=グレンヴィル」に改姓している〔。彼は小ピット政権で閣僚職を歴任し、1784年12月4日に「バッキンガム侯爵(Marquess of Buckingham)」に叙せられ、また1788年10月13日には岳父(妻の父)から特別継承権でアイルランド貴族爵位の第2代位を継承している。ちなみに彼の弟である初代グレンヴィル男爵ウィリアム・グレンヴィルも政界で活躍し、1806年から1807年にかけてフォックスと連携してを組閣して首相を務めたことで知られる。 1813年2月11日に初代バッキンガム侯が死去し、その長男である(1776–1839)が第2代バッキンガム侯爵位・第4代コバム子爵位を継承した。彼は1799年に妻の実家の家名(ブリッジス)と爵位名(シャンドス公爵)を加えて「テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル」と改姓し、さらに1822年2月4日には連合王国貴族爵位「バッキンガム=シャンドス公爵(Duke of Buckingham and Chandos)」と「シャンドス侯爵(Marquess of Chandos)」と「(Earl Temple of Stowe)」に叙せられた。 彼の孫である第3代バッキンガム=シャンドス公(7代コバム子爵)リチャード(1823–1889)が1889年3月26日に男子なく死去した際、バッキンガム=シャンドス公爵位、シャンドス侯爵位、バッキンガム侯爵位、テンプル伯爵位など多くの爵位が廃絶したが、コバム子爵位は初代コバム子爵の妹クリスティアン・リトルトン(-1748)の家系も継承可能だったため、クリスティアンの玄孫にあたる第5代(1842–1922)が、第8代コバム子爵位を継承した〔。 リトルトン家はコバム子爵位を継承する前から「ウスター州におけるフランクリーのリトルトン男爵 (Baron Lyttelton, of Frankley in the County of Worcester)」(1794年8月13日創設グレートブリテン貴族)と「ロングフォード州におけるバリーモアのウェストコート男爵 (Baron Westcote, of Ballymore in the County of Longford)」(1776年4月29日創設のアイルランド貴族)、そしてイングランドの準男爵位を保持していた。 10代コバム子爵チャールズ・リトルトン(1909–1977)は1957年から1962年にかけてニュージーランド総督を務めた〔。 2015年現在の当主はその次男である12代コバム子爵(1947-)である〔。 本邸はウェスト・ミッドランズの〔。家訓は「一人の神、一人の王(Ung Dieu, Ung Roy)」〔''(Earl Temple of Stowe)」に叙せられた。 彼の孫である第3代バッキンガム=シャンドス公(7代コバム子爵)リチャード(1823–1889)が1889年3月26日に男子なく死去した際、バッキンガム=シャンドス公爵位、シャンドス侯爵位、バッキンガム侯爵位、テンプル伯爵位など多くの爵位が廃絶したが、コバム子爵位は初代コバム子爵の妹クリスティアン・リトルトン(-1748)の家系も継承可能だったため、クリスティアンの玄孫にあたる第5代(1842–1922)が、第8代コバム子爵位を継承した〔。 リトルトン家はコバム子爵位を継承する前から「ウスター州におけるフランクリーのリトルトン男爵 (Baron Lyttelton, of Frankley in the County of Worcester)」(1794年8月13日創設グレートブリテン貴族)と「ロングフォード州におけるバリーモアのウェストコート男爵 (Baron Westcote, of Ballymore in the County of Longford)」(1776年4月29日創設のアイルランド貴族)、そしてイングランドの準男爵位を保持していた。 10代コバム子爵チャールズ・リトルトン(1909–1977)は1957年から1962年にかけてニュージーランド総督を務めた〔。 2015年現在の当主はその次男である12代コバム子爵(1947-)である〔。 本邸はウェスト・ミッドランズの〔。家訓は「一人の神、一人の王(Ung Dieu, Ung Roy)」〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コバム子爵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|