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バッキー・ウォルターズ(William Henry "Bucky" Walters ,1909年4月19日 - 1991年4月20日)は、主に1930~1940年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手。ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。右投げ右打ち。1939年にナショナルリーグ三冠投手となり、1940年にシンシナティ・レッズをワールドシリーズ制覇に導いた。 ==経歴== アマチュア時代の1929年に当時のボストン・ブレーブスと契約、その後レッドソックスのマイナーを経て1934年にフィラデルフィア・フィリーズに入団、同年メジャーリーグにデビューした。フィリーズには1938年シーズン途中まで在籍し先発投手の一人となり、1937年のオールスターゲームにも出場したが、防御率は4点台で、勝ち数より負け数が先行し目立った活躍をすることはできなかった。 1938年6月にフィリーズからレッズに移籍してから、ウォルターズは見違えるような活躍を見せた。30歳になった1939年に27勝11敗の成績を上げ、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振の投手三冠タイトルを手中にし、この年の最優秀選手にも選ばれた。しかし同年のワールドシリーズでは調子が出ず、ニューヨーク・ヤンキースに2敗を喫して敗退する。1940年にも最多勝利、最優秀防御率の2つの部門でリーグトップの成績を収め、雪辱を期した1940年のワールドシリーズではタイガースを相手に2試合を完投、2試合あわせて自責点3と押さえ込み、レッズをシリーズ制覇に導く活躍をした。ウォルターズは打つ方でも野手に引けをとらず、現役通算でも23本のホームランを放っているが、優勝した1940年のワールドシリーズでは、自らも本塁打と二塁打を打ち2打点を挙げている。 その後39歳になる1948年までレッズの先発投手をつとめ、第二次世界大戦中の1944年シーズンには23勝8敗の成績を収めた。1948年から2年間はレッズの監督をつとめ、その後1950年にボストン・ブレーブスから出場したのを最後に現役を引退。1950年代はブレーブス及びジャイアンツのコーチを務めた。1942年と1947年にはそれぞれ1試合ずつ塁審をつとめたという記録も残っている。 1991年にペンシルベニア州で死去。2008年にベテランズ委員会選出によるアメリカ野球殿堂入り候補者の一人となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バッキー・ウォルターズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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