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バックチェリー : ウィキペディア日本語版
バックチェリー[ちょうおん]

Buckcherry(バックチェリー)は、アメリカロックバンド。1995年に結成され、2002年に解散したが、2005年に新メンバーを加え再結成された。
==来歴==

=== デビューからブレイクまで ===
1995年、ロサンゼルスでジョシュア・トッドとキース・ネルソンが、タトゥーアーティストのKevin Quinnを通じて出会う。2人は曲作りを始め、そこへジョナサン・ブライトマン、デヴォン・グレンが加入し、「SPARROW」というバンド名でロサンゼルスを中心に活動をはじめる。当時から大きな人気があり、多数のレコード契約のオファーを受けたが、最終的にDreamWorks Recordsと契約。1998年、ジョン・トラヴィススティーヴ・ジョーンズの共同プロデュースにより、デビュー・アルバムをレコーディングする。同作のリリース前に、バンド名を「Buckcherry」と改名〔クラブで演奏していた折、よくメンバーのキースにタバコをせがんでいたニューハーフ源氏名に由来するというのが通説だが、チャック・ベリーに由来している(アナグラム)という噂がある。〕。リリース前にギタリストのヨギが加入する。
1999年、デビュー・アルバムの発表前から、キッスオープニングアクトとしてツアーに同行するなど、デビュー前から注目されていた。1999年、デビュー・アルバム「Buckcherry」をリリース。1曲目の「Lit Up」がヘビーローテーションとなり、一躍世界中に名を轟かせる。夏に行われたウッドストック 1999にも出演、12月にはエアロスミスミスター・ビッグとペアで行ったカウントダウンライブのオープニングアクトとして来日。翌年の元日には、Zepp Tokyoで初のワンマンライブを決行、そのまま日本ツアーを行った。
2000年年明けには、"Lit Up"がグラミー賞Best Hard Rock Performanceにノミネート、ギタリストのキースがGibson Award Most Promising New Guitaristを受賞。バンドはジャパンツアーから帰国後、すぐニューアルバム制作に取り掛かり、5月よりレコーディングを開始し、2001年3月にセカンド・アルバム「Time Bomb」をリリース。8月にベーシストJBが、ツアー半ばで突如脱退。バンドはベースにサポートメンバーを迎え日本ツアーを10月に行うが、帰国直後、ギタリストYogiが脱退。翌年の2002年1月にはドラムのDevonが脱退。残されたジョシュとキースはバンドをそのまま継続し、プロジェクトへの参加等を繰り返していた。その頃、モトリー・クルーのドラマーだった、ランディ・カスティロが胃がんの為に死去。その追悼ライブに参加する。一緒にプレイしたミュージシャンに、元ガンズ・アンド・ローゼスで後にヴェルヴェット・リヴォルヴァーを結成することになる、スラッシュダフ・マッケイガンマット・ソーラムと一時的にバンドを組み、そのときは「Buck N' Roses」と名乗っていた。最終的に、ジョシュの声がバックチェリーにしか聞こえないという理由により、そのプロジェクトからは外れることになる。2002年7月16日、マネージメントにより、ジョシュのBuckcherry脱退、残されたキースの判断によりDreamworksとのアルバム契約を1枚残したままBuckcherryの解散が伝えられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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