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バッジー : ウィキペディア日本語版
バッジー[ちょうおん]

バッジーBudgie)は、ウェールズサウス・グラモーガンカーディフ出身のハードロックバンドである。「Budgie」とはセキセイインコを意味する「budgerigar(バジュリガー)」の口語。そのため、オリジナルアルバムのジャケットのほとんどにセキセイインコが描かれている。
== バンドの歴史 ==
1968年に結成され、結成時のメンバーは、バーク・シェリー(ベース、ヴォーカル。John Burke Shelley: 1947年4月10日、カーディフのタイガー・ベイ生)、トニー・ボージ(ギター、ヴォーカル。Anthony James Bourge: 1948年11月23日、カーディフのタイガー・ベイ生)、レイ・フィリップス(ドラムス。Raymond John Phillips: 1945年3月1日、カーディフのタイガー・ベイ生)の3人だった。現在のメンバーは、クレイグ・ゴールディ(ギター)、バーク・シェリー(ベース、ヴォーカル)、スティーヴ・ウィリアムズ(ドラムス)の3人である。
ファースト・アルバム「バッジー」は、ブラック・サバスのプロデューサーであるロジャー・ベインのプロデュースにより、ロックフィールド・スタジオで録音され、1971年にリリースされた。1972年に発表されたセカンド・アルバム「スクォーク」の後、1973年、ロック史上重要なサード・アルバム「ネバー・ターン・ユア・バック・オン・ア・フレンド」が発表された。このアルバムには、バッジーにとっておそらく最も有名な曲である「ブレッドファン」が収められている。4枚目のアルバム「イン・フォー・ザ・キル」が録音される前に、レイ・フィリップスが脱退し、ピート・ブート(Peter Charles Boot: 1950年9月30日、スタフォードシャーウェスト・ブロミッジ生)が加入した。
1975年、5枚目のアルバム「バンドリア」では、ドラマーがスティーヴ・ウィリアムズに交替し、1978年12月には、ボージがバンドを去り、ジョン・トーマスが加入した。1978年の7枚目のアルバム「インペッカブル」からの曲は、カルト的な名作映画「ジェイ・メン・フォーエバー」(USAネットワークの1980年代のテレビシリーズである「ナイト・フライト」でしばしば放映された。)に使用された。1982年まで、ニュー・ウェーヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィー・メタル(New Wave of British Heavy Metal: NWOBHM)で脚光を浴び、レディング・フェスティバルでトリを務めるなど、人気を集めた。1982年、鉄のカーテンを越えた初のヘヴィーメタルのバンドとして、ポーランドで有名になった。また、1984年のオジー・オズボーンのツアーサポートとしても人気を得た。
1988年、バンドは演奏活動を休止し、バンドのメンバーは、他のミュージシャンのレコーディングにゲスト出演するなどスタジオでの活動に入った。ジョン・トーマスは、ブラック・サバス・スタジオから飛び出し、グレン・ヒューズとともにCD「フェノメナ」に参加するなどしたが、野外のロック・フェスティヴァル「ウェールズ・レジェンズ・オブ・ロック」に参加した後、2001年にバンドを脱退した。
1995年、1996年、2000年には、テキサスの人気者であり、1970年代のKMAC/KISSラジオで「ゴッドファーザー」「ミスター・ピザ」と呼ばれた伝説的なDJ兼レストラン経営者ジョー・アンソニーのおかげで、テキサス州サンアントニオの野外のロック・フェスティヴァル「La Semana Alegre」で再結成を果たした。2002年から2006年には、主にイギリス、ニュージャージー州ニューヨーク近辺、ダラスでツアーを行い、また、ヨーロッパにおいてもスウェーデン・ロック・フェスティバルでの出演、共産主義後のポーランドでの凱旋公演などを行っている。
2006年12月まで35日間のイギリスツアーを行っており、2006年11月7日、イギリスでニュー・アルバム「オール・リヴィング・イン・クックーランド」がリリースされた。
2007年7月4日、サイモン・リーズの脱退が発表された。これを受けてディオのギタリストであるクレイグ・ゴールディが、ロニー・ジェイムス・ディオヘヴン・アンド・ヘルのツアーに参加している間のみという条件で、参加を申し出た。
2008年2月、クレイグ・ゴールディは、バンドの最初のオーストラリアツアーに参加し、以降全てのショーで'ゲストギタリスト'として共演を続けている。
2010年、バーク・シェリーが11月9日にベイヘロボ(ポーランド)に入院し、バンドの東欧の2010年11月のツアーは中止となった。6cmの大動脈の動脈瘤であり、手術の後に彼は回復のためにイギリスに戻ったが、この時点でバンドの未来の決定を全くしていない状態にある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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