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バディ・ウォルフ : ミニ英和和英辞書
バディ・ウォルフ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


バディ・ウォルフ : ウィキペディア日本語版
バディ・ウォルフ

バディ・ウォルフBuddy Wolfe / Buddy Wolff、本名:Les Wolff1941年4月11日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーミネソタ州ブルーアース出身。
地元ミネソタのAWAを主戦場に、ヒールの中堅選手として活動した。マッドドッグ・バションブッチャー・バションの妹、ビビアン・バションの夫でもあった〔。
== 来歴 ==
学生時代はレスリングアメリカンフットボールで活躍、レスリングでは94%の勝率を誇ったという〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P74(2002年、日本スポーツ出版社)〕。セントクラウド州立大学卒業後、ディフェンシブ・エンドとしてのに入団〔。その後、バーン・ガニアのトレーニングを受けて1968年にプロレスラーとしてデビュー〔。キャリア初期は本名のレス・ウォルフをリングネームに、ベビーフェイス陣営で活動した〔。
1970年7月、ガニア主宰のAWAとの提携ルートで国際プロレスに初来日〔。7月28日の長野大会ではストロング小林が保持していたUSAヘビー級王座に、8月11日の苫小牧大会ではドクター・デスと組んでグレート草津&サンダー杉山IWA世界タッグ王座にそれぞれ挑戦した。9月開幕のシリーズにも覆面レスラーブルー・デモン(''Blue Demon'')に変身して残留参戦し、同月15日に福岡市九電記念体育館にて杉山のIWA世界ヘビー級王座に挑戦。10月15日の佐野大会ではギル・ヘイズをパートナーに、草津&杉山のIWA世界タッグ王座に再挑戦した〔。
アメリカでも中南部のNWAトライステート地区で覆面を被り、ザ・スポイラーのパートナーとしてスポイラー2号に一時変身、1971年5月2日にザ・ケンタッキアンズ(グリズリー・スミス&ルーク・ブラウン)からUSタッグ王座を奪取している。その後、"ビューティフル" バディ・ウォルフと名乗って素顔でもヒールに転向。AWA圏では1972年4月8日、ネブラスカ州オマハにてミッドウエスト・ヘビー級王座を獲得した。同年10月からはWWWFに参戦し、フィラデルフィアボストンなど北東部各地において、ペドロ・モラレスWWWF世界ヘビー級王座に再三挑戦。ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンでは、1973年2月26日にミル・マスカラス、3月26日にアンドレ・ザ・ジャイアントと対戦している(アンドレは、同日がMSGデビュー戦だった)〔。
1973年6月には国際プロレスに再来日。同時参加したテキサス・アウトローズに次ぐ3番手外国人のポジションで、グレート草津やアニマル浜口との金網デスマッチも行われた。帰国後は主戦場のAWAにて、ワフー・マクダニエルビル・ロビンソンクラッシャー・リソワスキーらと抗争。タッグではラリー・ハイニエミことラーズ・アンダーソンとのコンビで活躍した。国際プロレスには、AWA世界ヘビー級王者のバーン・ガニア、AWA世界タッグ王者ニック・ボックウィンクル&レイ・スティーブンスが同時参加した1974年11月の『ワールド・チャンピオン・シリーズ』にも来日している。その後はテキサスの東部地区を経て、1976年4月に全日本プロレスの『第4回チャンピオン・カーニバル』に出場したが、戦績は芳しくなかった。
1976年6月10日、イリノイ州シカゴのインターナショナル・アンフィシアターにて、同月26日にアントニオ猪木との異種格闘技戦が決定していたモハメド・アリのプロモーション用の対戦相手に起用され、16オンスのグローブを着けたアリとラウンド制のミックスド・マッチで対戦〔『Gスピリッツ Vol.12』P14-15(2009年、辰巳出版、ISBN 4777806847)〕。アリのセコンドにはフレッド・ブラッシー、ウォルフのセコンドにはディック・ザ・ブルーザーが付き、レフェリーはバーン・ガニアが務めた(結果はウォルフが流血して乱闘となり、レフェリーのガニアが試合を中止。当日は同じくAWAのレスラーだったケニー・ジェイとアリとの試合も行われたが、ジェイはKO負けを喫した)〔。
1977年NWAフロリダ地区において、3月8日に行われたトーナメントを制し、空位となっていたNWAフロリダ・ヘビー級王座を獲得。以降、ボブ・バックランドジャック・ブリスコジョー・ルダックスティーブ・カーンマイク・グラハムアーニー・ラッドらを挑戦者に、6月に前王者ダスティ・ローデスに敗れるまで戴冠した〔。NWA圏ではセントルイスキール・オーディトリアムにも出場しており、1978年3月17日の興行ではリック・フレアー&オックス・ベーカーと組み、アンドレ・ザ・ジャイアント&ディック・ザ・ブルーザーと3対2のハンディキャップ・マッチで対戦している。
1979年からは本拠地のAWAに定着し、うるさ型のベテラン・ヒールとして、スティーブ・オルソノスキーポール・エラリングディノ・ブラボーなど新鋭選手のジョバーを担当。1982年には、当時AWAで大ブレイクしていたハルク・ホーガンのジョバーも務めた。以降はセミリタイア状態となるも、1980年代後半までAWAに出場し、1987年にはショーン・マイケルズスコット・ホールジミー・スヌーカとも対戦した。
引退後はミネソタ州ハッケンサックに居住。2000年代はカリフラワー・アレイ・クラブなどのOB会に姿を見せていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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