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バディ・ランデル : ミニ英和和英辞書
バディ・ランデル[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

バディ・ランデル : ウィキペディア日本語版
バディ・ランデル[らん]

"ネイチャー・ボーイ" バディ・ランデル"Nature Boy" Buddy Landel、本名:William Ansor1961年8月17日 - 2015年6月22日)は、アメリカ合衆国プロレスラーテネシー州ノックスビル出身。
キャラクターからコスチュームに至るまで、"ネイチャー・ボーイ" リック・フレアーのスタイルをそっくりコピーしたヒールとして、アメリカ南部を中心に各団体で活動した〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P84(2002年、日本スポーツ出版社)〕。
== 来歴 ==
ボリス・マレンコのトレーニングを受け、ランディ・サベージの父アンジェロ・ポッフォが運営していたケンタッキー州レキシントンのインディー団体ICW(インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング)にて1979年11月にデビュー。同団体にはマレンコの盟友ボブ・ループが参画しており、デビュー戦ではループのパートナーだったボブ・オートン・ジュニアの胸を借りた。
以降、若手のベビーフェイスとして各地の前座試合でキャリアを積んだ後、リック・フレアーのスタイルを真似た金髪のエゴイスト系ヒールに変身。1983年3月5日にはプエルトリコWWCにてペドロ・モラレスから北米ヘビー級王座を奪取し、同年下期にはテネシー州メンフィスCWAにてダッチ・マンテルココ・ウェアとミッドアメリカ・ヘビー級王座を争った。翌1984年ビル・ワット主宰のMSWAに参戦、ジャンクヤード・ドッグラニー・ポッフォと抗争し、女子プロレスラーのウェンディ・リヒターと組んでのミックスド・タッグマッチにも出場した。
1985年3月より、「にせフレアー」のギミックジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区に登場。J・J・ディロンマネージャーに迎え、自分こそが真の "ネイチャー・ボーイ" であると主張して本家のリック・フレアーと抗争を展開、6月から9月にかけて、フレアーのNWA世界ヘビー級王座に再三挑戦した。11月28日にはテリー・テイラーからNWAナショナル・ヘビー級王座を奪取、12月19日にダスティ・ローデスに敗れ短命政権に終わったものの、フレアー、ローデス、マグナムTAニキタ・コロフらとの対戦を通しメジャーテリトリーでの実績を築いた。
1986年はミッドアトランティックと古巣のCWAを股にかけて活動し、CWAではヒールターンしたビル・ダンディーと組んでジェリー・ローラー&ダッチ・マンテルと抗争。その後はアラバマコンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリングを経て、1988年1月には全日本プロレスに初来日。ジャンボ鶴田輪島大士ジョン・テンタとのシングルマッチが組まれ、ジャイアント馬場ともタッグマッチで対戦したが、負傷のため途中帰国している〔。同年はプエルトリコのWWCに再登場し、8月20日にTNTを破りカリビアン・ヘビー級王座を獲得した。
その後は初期のWCWなどを経て、1990年代中盤まではCWAの後継団体USWAや、ジム・コルネットが主宰していたノックスビルのSMW(スモーキー・マウンテン・レスリング)を主戦場に活躍。1993年11月22日にはジェフ・ジャレットからUSWAヘビー級王座を奪取、SMWでは1994年12月5日にブライアン・リーを破りTV王座を獲得した。
当時、SMWとUSWAはWWFと提携しており、1995年8月4日にはSMWで開催された "Superbowl of Wrestling"
のメインイベントでショーン・マイケルズWWFインターコンチネンタル王座に挑戦。同年末にはWWF本隊にも出場し、12月17日に開催のPPVシリーズ『イン・ユア・ハウス』の第5回大会 "Seasons Beatings" では、ディーン・ダグラスセコンドアーメッド・ジョンソンと対戦するも秒殺された。なお、同大会でのランデルの入場テーマ曲は、1990年代初頭にリック・フレアーがWWFに在籍していた際に使用された、WWFのアレンジ・バージョンによる "Also sprach Zarathustra" が用いられた。翌18日には、当時ブレット・ハートが保持していたWWF世界ヘビー級王座に挑戦。その後も『マンデー・ナイト・ロウ』のアンダーカードやTVテーピングにて、ボブ・ホーリーや無名時代のマット・ハーディーから勝利を収めたが〔、WWFにレギュラー参戦することはなかった。
1990年代後半はIWAミッドサウスなどのインディー団体で活動し、1997年11月7日にIWAミッドサウス・ヘビー級王座を獲得〔。1999年2月にはアンダーカードのジョバーとして再びWWFに登場し、2月15日と16日に収録された "WWF Shotgun" の枠内においてザ・ゴッドファーザートリプルHのジョバーを務めた〔。2001年1月には当時WWFの下部団体だったOVWにも出場〔。同年8月11日、アラバマ州バーミングハムでのトミー・リッチ戦を最後に現役を引退した〔。
リタイア後の近年も地元のテネシーやアラバマのインディー団体に時折出場しており、2010年11月19日にはNWAレッスル・バーミングハム主催のノスタルジア・ショーに登場。グレッグ・バレンタイン&キャメロン・バレンタインと組み、ジェイク・ロバーツブルータス・ビーフケーキブリックハウス・ブラウンのトリオと6人タッグマッチで対戦した〔〔。
2015年6月21日に自動車事故に遭い、搬送先の病院から一度は自宅に戻るも、翌22日に死去。〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バディ・ランデル」の詳細全文を読む




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