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バハラーム1世 : ミニ英和和英辞書
バハラーム1世[ばはらーむ1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

バハラーム1世 : ウィキペディア日本語版
バハラーム1世[ばはらーむ1せい]

バハラーム1世Bahram I, ? - 276年)はサーサーン朝の第4代君主(シャーハーン・シャー、在位:273年 - 276年)。アラビア語ペルシア語での表記では بهرام Bahrām であり、バハラーム、バフラームと仮名表記される。パフラヴィー語そのものでは wrḥr'n / warhrān(貨幣銘文など)や w'hl'm / wahrām (後代のゾロアスター教文書など)と表記されたため、ワラフラーン、ワルフラーンとも呼ばれる。帝位に就くまではギーラーンの王としてカスピ海南岸一帯を統治していた。
== 低い血統から皇位へ ==

シャープール1世の碑文、パフラヴィー語の文章によると、バハラーム1世はシャープール1世の次男であると記されている。しかしギリシアの歴史家やアッバース朝時代の歴史家ムハンマド・イブン・ジャリール・アッ=タバリー年代記である『諸使徒と諸王の歴史』(Ta'rīkh Rusul wa al-Mulūk)ではホルミズド1世の息子、すなわちシャープール1世の孫になっている。
他の3人の王子(ホルミズド1世、シャープール、ナルセ1世)を生んだ妃と比べ、バハラームを生んだ妃は地位が低かったか妾だったと思われる。4人の王子達の中でもバハラームの扱いは低く、シャープール1世の碑文中、彼の名だけは聖火によって顕彰されていなかった。さらにバハラームが統治するギーラーンは、帝国内でも他の兄弟が赴任したものと比べ地位が低い。諸王の筆頭に位置するアルメニア、帝国首都クテシフォン南方に広がる肥沃なメセネ:en:Mesene)、帝国東方の大部分を掌握するサカに比べ、明らかに戦略的重要性は低かった。
バハラームという名は、神の名前を付けることによって加護を受ける意味合いがあるテオフォリックネーム:en:Theophoric name)である。中世ペルシア語で''Varahrän''(:en:Vahram)は勝利という意味であるが、これは本来ゾロアスター教の神、ウルスラグナ(Vərəθraγna)神の中期ペルシア語形である。ウルスラグナ神はパルティア時代にはメソポタミアを中心にギリシア神話の神ヘラクレスと同一視されていたことが知られている。
確認できる文献で最も早いバハラーム1世への言及はナグシェ・ラジャブ:en:Naqsh-e Rajab)の磨崖壁画群での祖父アルダシール1世による戴冠式である。ここではアルダシールとアフラマズダ神の前でより小さい人物として描写されている。そして''Vahram''神の前でお辞儀をして敬意を表している。同じ様な絵で、イノシシのようなモチーフで印章や王冠に描いている。明らかに勝利のヤザタ(恐らく戦争の勝利を司る英雄神ウルスラグナのことだと思われる)との繋がりを強化しようとする意図であった。
4人の王子達のなかで、バハラームは最も信仰心に厚く、敬虔なゾロアスター教徒として名をはせていた。兄ホルミズド1世が急死したとき、次の皇帝は三男メセネ王シャープールか四男サカ王ナルセが有力であった。血統で劣るバハラームは、マニ教の流行を憂慮するゾロアスター教団と協力することで帝位に就く。
シャープール1世、ホルミズド1世は寛容な宗教政策を取っていたため、マニ教の影響力が強くなりつつあった。ゾロアスター教の最高権力者カルティールは、メセネ王シャープールの支持を得ることに成功し、バハラーム1世がナルセを抑えて後を継いだ。ナルセはその代償としてアルメニア王位についた。
西方国境のアルメニアでローマ帝国と対峙するナルセは、強大な軍を支配下に置いているだけではなく、声望の点でもず抜けていた。彼の動向次第では皇太子バハラームの地位が脅かされないとも限らなかった。そこでメセネ王シャープールの娘と皇太子バハラームを結婚させ、ゾロアスター教団とのつながりを強化し、その地位を磐石なものにした。
低い血統であるバハラームは他の手段によって自己の権威を高めなくてはならず、名声の高い兄ナルセの存在と息子への安定した継承が次のような政策へと繋がった。すなわちゾロアスター教一尊化の始まりとマニ教への弾圧といった状況は彼の政治的環境から生まれたものだといえる。在位期間が短かったということもあるが、パルミラなど対ローマ外交で有力な策を打ち出せなかったことは、強力な軍事指導能力を持つナルセ1世を待望させることになってしまった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バハラーム1世」の詳細全文を読む




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