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バハラーム4世 : ミニ英和和英辞書
バハラーム4世[ばはらーむ4せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

バハラーム4世 : ウィキペディア日本語版
バハラーム4世[ばはらーむ4せい]

バハラーム4世Bahram IV, ? - 399年)は、サーサーン朝ペルシア帝国の第12代君主(シャーハーン・シャー、在位:388年 - 399年)。登極する前はケルマーンの王であった。
この時代のサーサーン朝はローマ帝国同様、フン族など遊牧民の侵入に苦しんだことは分かっているが、詳細な記録に乏しく、はっきりしていない。ケルマーン地方には、アルダシール1世が東方のスィスターン地方からの防衛拠点として築いた「ウェフ=アルダフシール」という要塞があった。バハラーム4世は遊牧民対策に功を挙げて推挙されたとも考えられるが、本来は君主位に近い人物ではなかった。少なくともあっさり君主となったとは考えにくい。
バハラーム4世はアルメニアへの干渉を強め、クースロ王を幽閉、自分の兄弟であるバハラーム・シャープールを王位に就けた。ローマ皇帝テオドシウス1世384年の平和条約を盾に援助要請を退け、干渉はしなかった。
399年、反逆者によってバハラーム4世は暗殺された。
== 外部リンク ==

*諸王の王



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バハラーム4世」の詳細全文を読む




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