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バラトン湖の戦い : ミニ英和和英辞書
バラトン湖の戦い[たたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みずうみ]
 【名詞】 1. lake 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

バラトン湖の戦い ( リダイレクト:春の目覚め作戦 ) : ウィキペディア日本語版
春の目覚め作戦[はるのめざめさくせん]

春の目覚め作戦(はるのめざめさくせん、:Operation Frühlingserwachen)は、1945年3月6日から3月15日にかけてハンガリー西部のバラトン湖周辺で展開された、第二次世界大戦におけるドイツ軍の攻勢。バラトン湖の戦い(Plattenseeoffensive)とも呼ばれる。
== 作戦の背景と目的 ==
中央ヨーロッパにおけるソ連赤軍は、1945年1月から攻勢を開始、2月14日に首都ブダペストを占領した。ヒトラーは戦争継続のためには、石油の安定供給が絶対不可欠という考えからハンガリーの油田を重要視していたため、ハンガリー戦線での主導権を取り返し、油田の確保とブダペスト奪還を企図した。
1月から展開されたヴィスワ川からオーデル川への赤軍進撃により、すでに赤軍前線から首都ベルリンまで100キロ以内に迫り、ベルリン総攻撃は間近と見られていた。このため、ハインツ・グデーリアン上級大将を始めとする陸軍参謀本部は、ベルリン正面の防衛を最優先すべきと考えていた。また、ハンガリーは副次的戦線であり、戦局の大勢には影響しない上、ドイツ軍にはすでに攻勢に出るだけの余力はないと判断していたため、かねてからベルリン正面の防衛に物資や兵員を優先して送るよう求めていたが、ヒトラーはこれらの意見を却下し、春の目覚め作戦開始を決めた。
作戦は、ハンガリー南部を担当するトルブーヒン大将のソ連第3ウクライナ方面軍をバラトン湖を挟んだ南北から挟撃、分断することでハンガリー西部における赤軍の軍事的脅威を完全に排除することを目指した。南方軍集団のディートリヒの第6SS装甲軍ヘルマン・バルク大将率いる第6軍の第3装甲軍団が主攻〔軍隊が攻撃を計画する際、目的達成の為の主力部隊を配置する攻撃正面をいう。〕として、共同でバラトン湖北側から出撃して第3ウクライナ方面軍を攻撃、ブダペストを奪還するとともにドナウ川に進出する。また、助攻〔主攻に対して直接的な寄与する為の攻撃正面をいう。〕としてバラトン湖南岸に配置した同集団の第2装甲軍はバラトン湖南側に展開する同方面軍の攻撃にあたり、油田地帯を確保してドナウ川に進出する。南にあるパラド川のハンガリーとユーゴスラヴィアの国境からはE軍集団の2個軍団が北進して、同じく同方面軍の攻撃にあたる。最終的には、ドイツ側の3つの軍は合流しドナウ川西岸から赤軍を掃討する構想だった。
しかし赤軍は事前にこうした攻勢の可能性を察知し、ウィーンへの攻勢を準備しつつ、攻勢が予想される地点にクルスク戦と同じく「パックフロント」と呼ばれる防御陣地を構築していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「春の目覚め作戦」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Operation Spring Awakening 」があります。




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