翻訳と辞書
Words near each other
・ バリバリBUDDY!
・ バリバリバリュー
・ バリバリマシン
・ バリバリ伝説
・ バリバリ最強No.1
・ バリバール
・ バリフォーカルレンズ
・ バリフ川
・ バリモア
・ バリモスニセイ
バリモント
・ バリャドリッド
・ バリャドリッド大学
・ バリャドリッド県
・ バリャドリッド空港
・ バリャドリッド空軍基地
・ バリャドリッド論争
・ バリャドリッド論戦
・ バリャドリド
・ バリャドリー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

バリモント ( リダイレクト:コンスタンチン・バリモント ) : ウィキペディア日本語版
コンスタンチン・バリモント
コンスタンティン・ディミトリエヴィチ・バリモントКонстантин Дмитриевич Бальмонт, 1867年6月15日1942年12月24日)はロシア象徴主義詩人翻訳家。「銀の時代」を代表する文人の一人である。
==生涯==
ヴラディーミル貴族の家庭に生れる。1886年モスクワ大学に入学するが、翌年に除籍される。1890年代の末に詩作に入り、1905年にいくつかの詩集を出版して文学者として名を揚げる。同年の末に非合法にロシアを脱してパリに行き、精力的に旅行を行い、1916年になってやっとモスクワに戻った。2月革命を熱狂的に支持したものの、10月革命には反対し、ロシアを去ってドイツに行く。のち1920年フランス亡命するが、晩年の20年を貧困のうちに過ごした。1942年の暮れにパリ郊外のノワジ=ル=グランにて肺炎により死去。翌年に他界した妻と共に同地の墓地に埋葬されている。
バリモントの詩および訳詞にはさまざまな作曲家が曲付けを試みており、タネーエフプロコフィエフらのものが知られているが、中でもイーゴリ・ストラヴィンスキーの《バリモントの2つの詩》とカンタータ《星の王》、エドガー・アラン・ポーのバリモント訳を用いたラフマニノフの合唱交響曲《》はとりわけ名高い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンスタンチン・バリモント」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Konstantin Balmont 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.