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バルカー島の戦い()またはバルカー湾の戦い()は、アメリカ独立戦争中の1776年10月11日から13日にかけて、ニューヨーク植民地の北部、シャンプレーン湖で行われた水上での戦いである。バルカー島(フランス語ではバルクール島)はシャンプレーン湖では4番目に大きい島であり、湖の中央部西寄りに位置する。水上戦はバルカー島とニューヨーク本土との間の水域で行われた。アメリカの海軍にとっては初めての水上戦として一般に見なされている。ベネディクト・アーノルドが指揮した大陸軍側の艦船は大半が破壊されたが、結果的にイギリス軍が目指した北部からサラトガ方面に侵攻する作戦を1年遅らせることになったので、大陸軍の戦略的勝利と考えることができる。 == シャンプレーン湖の戦略的重要性 == 1775年秋から1776年夏にかけて行われた大陸軍のカナダ侵攻作戦は大陸軍の失敗に終り、イギリス軍カナダ方面軍を指揮するガイ・カールトンは、撤退する一方となった大陸軍に逆襲し、6月にはモントリオールを取り戻していた。モントリオールからシャンプレーン湖の北端は比較的近くであり、この湖を抑えてさらに南のハドソン川渓谷を下れば、ニューヨーク市を占拠しているイギリス軍との連絡が取れ、アメリカ植民地をニューイングランドとそれ以外の中南部植民地に分断できることになり、植民地の反乱軍を圧倒できる可能性が開けると予測された。 湖の南端はクラウンポイントとタイコンデロガ砦で大陸軍がしっかりと守っていたので、これを排除する必要があった。道路は通行不能であるか、存在しないも同然であったので、兵士や物資の輸送は湖水に頼らざるを得なかったが、この時点で湖上の舟艇は大陸軍に握られていた。このような情勢下で、両軍とも水上戦力を整えにかかった。イギリス軍は湖の北端からリシュリュー川を下ったケベックのサン・ジャン・シュル・リシュリューで艦隊を建造した。イギリス軍はセントローレンス川を使って、十分な物資や熟練した造船工、さらに部分的に組み立てられた船をイギリス本国から運んだ。180トンの軍艦まで分解して運び湖で組み立て直した。大陸軍は湖の南端スケンスボロで準備したが、艦船の数もその火力もイギリス軍の半分程度であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バルカー島の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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