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バルデラまたはバルデレ(Bardera, Bardere, Bardhere, )は、ソマリアのゲド州にある都市。の主要都市のひとつでもある。バルデラの名称は「ヤシの木」を意味する''Baar''と「高い」を意味する''dheere''から成り、この地方にヤシが生えていることに由来する。バルデラはイスラム教の学術都市でもあり、ソマリアでは珍しく農業が盛んな地域でもある。1930年代の人口は約8千だった。2008年以降はイスラーム武装勢力アル・シャバブの支配地域であったが、2015年にソマリア政府が奪還。 == 歴史 == 1989年9月、バルデラにダムを建設する計画が持ち上がったことがある〔。 1995年11月、バルデラの主な病院は、内戦による破壊と人員不足により閉鎖された。1996年1月に国境なき医師団(MSF)により医療活動が再開。しかし6月にMSFの医師が殺される事件が起きている〔。 2006年5月、バルデラでマラリアの流行が報じられている〔。 2007年2月22日、バルデラで大火事が起こり、675家族、4050人が避難する事態になっている〔。 2007年5月には、内戦のために首都モガディシュなどから避難してきた人々がバルデラに数多く集まり、2000家族、1万2千人に上った〔。 2008年4月、医療設備の整っていないバルデラに下痢が流行し、少なくとも12人が死亡している〔。 2008年7月、バルデラは重武装したイスラーム武装勢力アル・シャバブに占拠された〔。しかし、アル・シャバブはバルデラで地元住民の支持を得ることができず〔、この頃から、バルデラを含むゲド州は、情勢が不安定になっている〔。 2009年1月、アル・シャバブは支配地域の多くに夜間外出禁止令を出しているが、主要な町ではバルデラだけが除外されている〔。以後しばらく、バルデラがアル・シャバブの本拠地のひとつとなった〔。 2009年7月には、アル・シャバブの首都モガディシュ攻略のため、バルデラを含むゲド州各地に動員がかけられている〔。 2011年12月、バルデラに対し空爆が行われた〔。 2012年7月、エチオピア軍とソマリア軍がバルデラのアル・シャバブに攻勢を仕掛けたが、アル・シャバブはこれらの撃退に成功した〔。 2012年8月、バルデラに対し空爆が行われ、子供2名が死亡した。当時、この地区でアル・シャバブと対峙していたのはケニア軍だったが、ケニア軍はこの空爆はケニア軍によるものではないと説明している〔。 2015年7月22日、ソマリア政府軍がアル・シャバブからバルデラを奪還した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バルデラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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