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バルトの道(バルトのみち)とは、1989年8月23日に、ソビエト連邦の統治下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)で、独立運動の一環として行われたデモ活動。人間の鎖のひとつ。 およそ200万人〔カセカンプ, 2014. pp. 270.〕が参加して手をつなぎ、3共和国を結び、約600km〔カセカンプ, 2014. pp. 270.〕以上の人間の鎖を形成した。このデモンストレーションは、バルト三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約秘密議定書締結50周年を期して行われ、三国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えるために行われた。 == 背景 == 旧ソ連ではゴルバチョフ政権のもとでペレストロイカ、グラスノスチが進められ、街頭デモが急増し、市民の支持も集めていた。 1986年、3共和国の各首都で、一握りの人々が集まり抗議行動を行ったが、直ちに警察により解散させられた。1987年には大規模集会が3共和国の首都で行われたが、当局者に非難され、逮捕者が出て終わった。 1年後の1988年、大規模抗議行動が初めて当局の認可を得て、平和裏に行われた。 1989年5月、バルト議員会議がタリンで開かれ、その後バルト評議会も発足した〔カセカンプ, 2014. p. 269.〕。 バルトの道の1週間前にはソ連政府も秘密議定書の存在を認めたが、バルト三国は自主的にソビエト連邦に加盟したとして、ソ連編入が違法な併合であったとは認めなかった。 集会の数日前、リトアニアの独立運動組織サユディスの委員会の170人のメンバーが、「ソビエト連邦の政治的、文化的、行政的支配を受けない」独立のリトアニア国家をめざすことを議決した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バルトの道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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