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バルトロメオ・トロンボンチーノ : ミニ英和和英辞書
バルトロメオ・トロンボンチーノ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

バルトロメオ・トロンボンチーノ : ウィキペディア日本語版
バルトロメオ・トロンボンチーノ[ちょうおん]
バルトロメオ・トロンボンチーノBartolomeo Tromboncino, 1470年ごろ ヴェローナ - 1535年かそれ以降 ヴェネツィアかその近郊)は、イタリアルネサンス音楽作曲家殺人者。主にフロットーラの作曲家として名を残すとともに、カルロ・ジェズアルドと並ぶ妻殺し作曲家としても悪名高い。
== 生涯 ==
当時の作曲家にはよくあるように、生涯について詳しいことはほとんど分かっていない。どうやらマントヴァで育ったらしいが、私信において自分はヴェローナ出身であると述べている。1500年ごろまでマントヴァを生活と活動の拠点としたが、とりわけ難局にあたって、フェラーラエステヴィチェンツァミラノパヴィアのような近隣都市を随時おとずれている。たとえば1495年には、よく分からない理由からマントヴァから逃げ出したが、その年の内に戻っている。1499年に、妻と浮気相手との濡れ場を押さえて、報復のために殺したが、1世紀のちのジェズアルドと違って、間男のことは許したようである(ただし事件の詳細について史料ごとに食い違いが見られる)。奇妙なことに、トロンボンチーノは、数々の悪事を何度も何度も許されたが、それでも主人であるゴンザーガ家の書簡の中で触れられたところによると、またもやマントヴァを「許可なく、卑しむべき理由のために」後にした。トロンボンチーノは、作曲家としての技能のために、当時の芸術界の最大の庇護者の一人であるイザベラ・デステに、おそらく可愛がられたらしい。彼女とのつながりのために、おそらく数々の殺人や不品行がもみ消されたのかもしれない。
1502年にトロンボンチーノは、悪名高いルクレツィア・ボルジアに雇われフェラーラに赴き、ルクレツィアとアルフォンソ・デステ公爵の婚礼に向けて、彼女の宮廷楽団のために作曲した幕間劇(インテルメディオ)によって名を揚げる。1521年より前にヴェネツィアに移り、どうやら心静かに余生を過ごしたようである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バルトロメオ・トロンボンチーノ」の詳細全文を読む




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