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"バルバドス"ジョー・ウォルコット("Barbados" Joe Walcott、男性、1873年3月13日 - 1935年10月1日)は、西インド諸島バルバドス出身の元プロボクサー。主にアメリカ合衆国で活躍。元世界ウェルター級チャンピオン。 ヘビー級チャンピオンのジャーシー・ジョー・ウォルコットと区別するため“バルバドス”(Barbados)の称号で呼ばれる。身長156cmながら、強打と技巧でヘビー級の強豪も打ち負かし、“バルバドスの悪魔”と謳われた。草試合も含めると生涯800戦を戦ったと言われ、ボクシング界の古老の多くが史上最強に推す、ウェルター級史初期の強豪。 == 来歴 == 15歳で渡米、ボストン港で荷役夫として働きながらアマチュアでボクシング、レスリングを経験、州の王者にもなった。 1901年、ジム・ファーンズを破り世界ウェルター級王座獲得。翌1902年12月18日にトミー・ウェストを破り1度防衛したが、1904年4月30日、ディキシー・キッドに20回反則負けでタイトルを手放した。 同年5月12日の再戦の結果はドローでタイトル奪還はならなかったが、その後キッドが体重増加を理由にタイトルを返上したため、同年、戦わずして王座に返り咲く。 その後2年間試合から遠ざかった(銃の暴発による負傷が原因とも言う)が、1906年10月16日、強打者ハニー・メロディの挑戦を受け、判定負けで王座を奪われた。 ジャック・ジョンソンを破ったヘビー級強豪で、40ポンドも体重が重いジョー・チョインスキーを7回KOしたり、他のスポーツの喧嘩自慢と対戦して全勝した等の逸話を残しているが、伝説化されている部分がなきにしもあらずの感がある(例えば、「両腕を垂らすと膝の下まで届いた」などと言われるが、残された写真を見ると疑問がある)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バルバドス・ジョー・ウォルコット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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