翻訳と辞書
Words near each other
・ バルバラ・クラッセン
・ バルバラ・クレルク
・ バルバラ・ゴンザーガ
・ バルバラ・ザーポリャ
・ バルバラ・シェット
・ バルバラ・スコヴァ
・ バルバラ・ストロッツィ
・ バルバラ・ダウストリア
・ バルバラ・ツェリイスカ
・ バルバラ・ツェリスカ
バルバラ・デ・ブラガンサ
・ バルバラ・パウルス
・ バルバラ・パルヴィン
・ バルバラ・フォン・ブランデンブルク
・ バルバラ・フォン・ブランデンブルク (1423-1481)
・ バルバラ・フォン・ポーレン
・ バルバラ・ブロムベルク
・ バルバラ・ヘッセ=ブコフスカ
・ バルバラ・ヘルツォーク
・ バルバラ・ベルルスコーニ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

バルバラ・デ・ブラガンサ : ミニ英和和英辞書
バルバラ・デ・ブラガンサ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


バルバラ・デ・ブラガンサ : ウィキペディア日本語版
バルバラ・デ・ブラガンサ

マリーア・マグダレナ・バールバラ・ハビエル・レオノール・テレサ・アントニア・ホセファ・デ・ブラガンサ(María Magdalena Bárbara Xavier Leonor Teresa Antonia Josefa de Bragança, 1711年12月4日 - 1758年8月27日)は、スペインフェルナンド6世の王妃。バルバラ・デ・ブラガンサとして知られる。
ポルトガルジョアン5世と王妃マリア・アナは、結婚後3年たっても子供に恵まれなかった。そのためジョアンは、後継者となる子供を授かったら神に感謝の印として修道院を創設すると約束した。その後生まれたのがバルバラだった。バルバラは良い教育を受け、音楽を愛した。彼女は当時有名な作曲家、チェンバロ奏者であったドメニコ・スカルラッティに教えを受けた。
1729年、バルバラは2歳年下のフェルナンドと結婚した。スカルラッティはバルバラに同行してマドリードへ永住し、彼女のために100曲ものチェンバロ・ソナタを作曲した。
バルバラは決して美女とは言えず、初対面でフェルナンドがショックを受けたという噂すら流れた。しかし、2人は音楽という共通の趣味で結ばれた仲の良い夫婦となった。バルバラの死でフェルナンドは悲嘆に暮れたという。2人には子供がなかった。
バルバラは生涯を通じて喘息に苦しみ、アランフエスで亡くなった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バルバラ・デ・ブラガンサ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.