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バルラス
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バルラス
バルラス(Barlas)は、中央ユーラシアで活動した部族集団。漢語表記は『元史』では八魯剌思、『元朝秘史』では把舌魯剌、把舌魯剌思。『集史』などのペルシア語表記では برلاس Barlās 。 ==モンゴル帝国時代前後== チンギス・カン以前はモンゴル部族に属する1氏族で、『元朝秘史』によればその始祖カチュリはモンゴル部族の始祖アラン・コアの子ボドンチャル・ムンカクの孫であったメネン・トドンの息子たちのひとりであったと伝えている。メネン・トドンの息子はカチ・クルク、カチン、カチウ、カチュラ、カチウ、カラルダイ、ナチン・バアトルの7人であった。カチウにはバラルダイという息子がおり、大きい身体の持ち主で食物に猛々しかった(baruq)ので、その子孫はバルラス部族と呼ばれた、という始祖伝説を伝えている。カチュラの息子もやはり食物に猛々しい人物だったため、カチウ家の子孫を「大バルラ(也客把舌魯剌 Yeke Barula)」、カチュラ家の子孫を「小バルラ(兀出干把舌魯剌 Üčǖgen Barula)」と名付けて、両者をあわせてにバルラス部族となったという〔村上正二(訳注)『モンゴル秘史 1』p45(注14)〕。のちのチンギス・カン家を輩出するキヤト氏族とは祖先を同じくしていたことになる。『元朝秘史』によれば、最初のカン(ハン)となったカブル・カンの兄弟で、ボルジギン氏に繋がる有力家系であった。カチュリの子孫はカブル・カンの子孫キヤト氏族に従い、キヤト氏のチンギス・カンに仕えたカラチャル・ノヤンはモンゴル帝国の千人隊長のひとりとなり、チンギスの次男チャガタイのウルス(所領)に配属された。13世紀中頃にチャガタイ・ウルスがイリ川の渓谷に移るとこれに従い、さらに14世紀にチャガタイ・ハン国を形成して中央アジアの広い地域を支配するようになるとバルラス部も散らばった。他に特にバルラス部族出身者で有名な人物はいわゆる「四狗(ドルベン・ノガス)」のひとりクビライ (バルラス部)がいる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バルラス」の詳細全文を読む
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