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バルラージ・サーヘニー : ミニ英和和英辞書
バルラージ・サーヘニー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

バルラージ・サーヘニー : ウィキペディア日本語版
バルラージ・サーヘニー[ちょうおん]

バルラージ・サーヘニーパンジャーブ語: ਬਲਰਾਜ ਸਾਹਨੀ ヒンディー語: बलराज साहनी、 1913年5月1日-1973年4月13日。) は、インドの俳優。映画においては社会派のヒンディー映画を代表する俳優の一人であり、演劇においてはインド人民演劇協会( IPTA、 ) の中心で活躍した。
== 生涯 ==
イギリス領インド時代のパンジャーブ地方ラーワルピンディーに生まれる。パンジャーブ語の家庭に育ち、ヒンディー語サンスクリット語の教育を受けて育つ。1934年にラホールのガヴァメント・カレッジで英文学修士課程を修了し、父の商売を手伝ったのちに、雑誌編集者、BBCのヒンディー語アナウンサーなどの職業を経て俳優としての活動を始める。
ムンバイに移住後はインド人民演劇協会で活動し、インドやヨーロッパの戯曲に出演した。経済的に困窮する中で映画俳優の活動もはじめ、ベンガル飢饉を扱った映画『大地の子』に出演。妻のダムヤンティー・サーヘニーも俳優だったが1947年に死去し、同年にインド・パキスタン分離独立が起き、バルラージはシュリーナガルの両親に子供を預け俳優活動を続ける。ビマル・ロイ監督の『2エーカーの土地』(1953年)での演技が高く評価され、同作品は1954年に第7回カンヌ国際映画祭の国際賞を受賞した。1969年にはインド政府から国家勲章であるパドマ・シュリを受賞した。
映画俳優として成功したのちは、故郷のパンジャーブを意識した活動が増える。カシミールの詩人メヘジュールを題材として、カシミール語による初の劇映画を製作し、パンジャーブ語の戯曲に参加し、パンジャーブ語でパキスタンとロシアの紀行、戯曲、エッセイ、詩などを創作した。IPTAの活動としては、戯曲『最後の燭光』でウルドゥー語の詩人ガーリブを演じた。息子のパリークシト・サーヘニーも俳優であり、弟のビーシュム・サーヘニーは作家となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バルラージ・サーヘニー」の詳細全文を読む




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