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バロック絵画(バロックかいが)は、16世紀末から18世紀なかばの西洋芸術運動であるバロック様式に分類される絵画。バロックは絶対王政、カトリック改革、カトリック復興などと深い関連があり、ときには一体化したものと見なされることもあるが〔Counter Reformation , from ''Encyclopædia Britannica Online'', latest edition, full-article.〕〔Counter Reformation , from ''The Columbia Encyclopedia'', Sixth Edition. 2001-05.〕、バロック美術とバロック建築の傑作は絶対主義やキリスト教とは無関係に、作品自身が持つ魅力によって広く親しまれ、受け入れられている〔Helen Gardner, Fred S. Kleiner, and Christin J. Mamiya, "Gardner's Art Through the Ages" (Belmont, California: Thomson/Wadsworth, 2005)〕。 もっとも重要で有名なバロック絵画は1600年ごろから18世紀初頭にかけて描かれた。バロック絵画は劇的な描写技法、豊かで深い色彩、強い明暗法などで特徴づけられる。ルネサンス美術とは異なり、バロック美術では大げさで芝居がかったような場面描写が好まれ、動的な躍動感あふれる作品が多く制作された。盛期ルネサンスの代表的な芸術家ミケランジェロは彫刻ダビデ像を、ゴリアテとの戦いを控えて沈思する人物として表現した。一方、バロックの代表的な芸術家ベルニーニは、ゴリアテに向かって石を投げつける瞬間をとらえたダビデ像 (:en:David (Bernini)) を制作している。ルネサンス美術で賞賛された冷徹な理性ではなく、バロック美術では一瞬の感情や情熱の表現を追求していた。 バロック絵画を代表する画家として、イタリアのカラヴァッジョ〔Getty profile, including variant spellings of the artist's name. 〕、オランダのレンブラント〔Gombrich, p. 420.〕、フェルメール〔W. Liedtke (2007) Dutch Paintings in the Metropolitan Museum of Art, p. 867.〕、フランドルのルーベンス〔Belkin (1998): 11–18.〕、スペインのベラスケス、フランスのプッサン〔His ''Lives of the Painters'' was published in Rome, 1672. Poussin's other contemporary biographer was André Félibien.〕らの名前があげられる。バロック絵画にはカラヴァッジョが多用した明暗法の一種であるキアロスクーロの使用によって劇的な物語性を表現した画家が多い。カラヴァッジョは盛期ルネサンスの人文主義を受け継ぎ、自身が独自に発展させた人物を写実的に描く手法と強烈なキアロスクーロを用いて劇的な効果をもたらす技法は同時代の芸術家たちの大きな影響を与え〔「ホセ・デ・リベーラ、フェルメール、ラ・トゥール、レンブラントは、もしカラヴァッジョがいなければ存在しえない画家だっただろう。また、ドラクロワ、クールベ、マネらの芸術も全く異なったものになっていたに違いない」Roberto Longhi, quoted in Lambert, op. cit., p.15〕、西洋美術史に新たな流れを生み出した。その他にフランドルの画家アンソニー・ヴァン・ダイクが描いた優美かつ力強い肖像画も、とくにイングランドで大きな影響を及ぼした絵画である。 17世紀オランダの隆盛は巨大な美術市場を形成し、画家たちは風景画、静物画、肖像画、歴史画、風俗画など、さまざまなジャンルに特化した作品を描いた。当時のオランダ人画家たちの絵画技術は非常に高く、20世紀のモダニズム萌芽まで美術界に影響を与え続けた。 == 歴史 == 1543年から1563年にかけて招集されたローマ・カトリック教会の公会議トリエント公会議は、プロテスタントの台頭に起因したカトリック教会内部の姿勢とともに、カトリック宗教施設が保有するそれまでの芸術作品にも大きな変化をもたらした。当時大きな影響力を持っていたルーヴェン大学の神学教授ヤン・ファン・デル・メーレン(1533年 - 1585年)(:en:Molanus) は、カトリック教会が保有する彫刻や絵画は主題が明確で、力強く、敬虔な作品でなければならず、現在主流のマニエリスム様式はこの概念に合致していないとした。そして同様の解釈、意見がほかにも多くの聖職者たちが共有するものとなっていった。こういった流れを受けて、カラヴァッジョとアンニーバレ、アゴスティーノのカラッチ兄弟から教会芸術の変革が開始されたことは多くの現代美術史家が指摘している。いずれも1600年ごろにローマを中心として活動し、多くの絵画制作の依頼を受けていた画家たちだが、カラッチ兄弟とは違ってカラヴァッジョの作品には品位が欠けているという根強い批判があった〔Giorgi, p.80.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バロック絵画」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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