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バンテアイ・クデイ
バンテアイ・クデイ(Banteay Kdei、 ; プラサット・バンテアイ・クデイ、Prasat Banteay Kdei)は、カンボジアのアンコール遺跡において、「チャンバ族の砦」(〔Glaize, pp. 149-151〕)、または「僧房の砦」〔中尾 (2000)、25頁〕()として知られる仏教寺院である。この寺院はタ・プロームの南東〔Rooney (2011), p. 287〕、アンコール・トムの東に位置する。12世紀半ばから13世紀初頭のジャヤーヴァルマン7世(在位1181年-1218年頃〔石澤 (2005)、275頁〕または1219年〔石澤 (2002)、5頁〕ないし1220年頃〔Rooney (2011), pp. 287, 468〕〔石澤 (2005)、192頁〕、死後 "Maha paramasangata pada" と称された)の統治中に築かれたものである〔。バイヨン様式で、構成はタ・プロームやプリヤ・カーンに似るが、複雑ではなく、より小さい。その構造物は2重の周壁に囲まれており、そして塔門から2重の中央回廊を構成し、東面前方には前柱殿がある〔中尾 (2000)、25-30頁〕。 この仏教寺院複合体は、これまで不完全な建設およびその建築に質の悪い砂岩が使われていたために荒廃し、現在修復を受けている。バンテアイ・クデイは1960年代まで何世紀にもわたってさまざまな間隔で僧侶により占有されていた。 == 地理 ==
バンテアイ・クデイは、多くの アンコール寺院の1つであり、400平方キロメートル(150平方マイル)のアンコール遺跡公園内に位置する。クメール王朝時代におけるアンコールの古代都市はトンレサップからクーレン丘陵にかけて広がる1,000平方キロメートルの広大な領域にわたっている〔。この寺院はタ・プロームの東の塔門(ゴープラ、gopura)より600メートルとなる経路沿いに通じている。この経路はバンテアイ・クデイの西塔門入口につながる。寺院はアンコール・トムの東3キロメートルにある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バンテアイ・クデイ」の詳細全文を読む
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