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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
バンブーエール (''Bamboo Ere'') は日本の競走馬。おもな勝鞍はJBCスプリント、東京盃、クラスターカップ。馬名の由来は冠名とオランダプロサッカーリーグ・エールディヴィジ (Eredivisie) のエールから。 == 戦歴 == 2歳夏の小倉競馬場にてデビュー。明け3歳春昇竜ステークスを勝った後、交流GIに出走。ジャパンダートダービー、ダービーグランプリにて共に2着に入る好走を見せる。この後一息入れ、2007年初頭から始動するも平安ステークス、佐賀記念と二桁着順に敗れる。これを境にダート短距離路線に転向し、5月に栗東ステークスを制するも左ヒザの骨折を発症し1年2カ月の長期療養を余儀なくされる。 2008年7月、復帰レースとなるプロキオンステークスをひと叩きした後、北陸ステークスをレコードにコンマ3秒差の1分9秒9の好時計で快勝。続くBSN賞も勝利しペルセウスステークスではトップハンデを背負うもユビキタス以下を完封、オープン特別3連勝を飾る。 11月、迎えたJBCスプリントではスタート直後から先頭に立つとそのままスマートファルコンらの追撃をかわし逃げ切り勝ち。初のGIタイトルを手にした。 2009年緒戦は2月1日の根岸ステークスに出走、1番人気に支持されたが、5着に終わった。続くフェブラリーステークスでは8着だった。 その後ドバイゴールデンシャヒーンに選出されたため美浦トレーニングセンターで、ドバイワールドカップに出走するカジノドライヴと共に検疫を受け、3月16日の成田空港からのチャーター便で出国した。そして、3月28日のドバイゴールデンシャヒーンに出走したが4着に敗れた。 日本に帰国後は5月27日のさきたま杯に出走したが、2着に敗れた。続く7月12日のプロキオンステークスでは2番人気に推され、レースでは好位追走も3着に敗れた。その後、盛岡競馬場での開催となった8月14日のクラスターカップに出走。レースではスタートから押してハナに立つと、そのまま粘りきり、重賞2勝目を挙げた。続く9月30日の東京盃では道中3番手でレースを進め、直線で抜け出し、スーニの追撃を振り切って快勝、重賞3勝目を挙げたが、2日後の10月2日に右前浅屈腱炎が判明、全治9か月以上の長期休養を余儀なくされ、以降復帰することなく2011年12月9日付けで競走馬登録を抹消。当初は北海道浦河町のバンブー牧場で種牡馬となる予定と発表されていたが、イーストスタッドに変更された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バンブーエール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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