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バーゼルSNCF駅(バーゼルSNCFえき)(独: Bahnhof Basel SNCF、仏: Gare de Bâle SNCF バールSNCF(バールはバーゼルのフランス語名))は、スイス、バーゼル(Basel)に5つある鉄道駅のうちの1つである。フランス駅(Französischer Bahnhof)、アルザス駅(Elsässerbahnhof)などとも呼ばれる。 バーゼルSBB駅と互いに隣接しており、併せて共同使用駅となっている。現在、フランス国鉄(TERアルザス)が発行する時刻表では "Bâle(Sncf)" と記載されているが、スイス連邦鉄道が発行する時刻表では、バーゼルSBB駅の一部として "Basel SBB Gl. 30-35" (バーゼルSBB駅30~35番線。 'Gl.' はドイツ語 'Gleis' の省略形)と記載されている〔スイス連邦鉄道発行の2007年7月8日改正時刻表のTable 5140では、「フランスとの乗り継ぎには最低10分間必要」との脚注は付されていたものの、駅名は単に "Basel SBB" と記載されていた。〕。バーゼルSBB駅とはそれぞれ別にプラットホームホールと番線を持っており、間に税関のゲートがある。 == 歴史 == 1838年3月6日、ストラスブール(Strasbourg)からバーゼルへ向けて、ストラスブール・バール鉄道(Chemin de fer de Strasbourg à Bâle)(StB)が鉄道の建設を開始した。ただちにバーゼル州議会の鉄道委員会は町への鉄道の接続方法について検討を開始し、1840年5月に議会が建設の認可を与えた。1840年10月25日、ストラスブール - サン・ルイ(Saint-Louis)が開通し、アルザス線はスイスとの国境まで到達した。 バーゼル州議会では、駅を城壁の外側に作るか内側に作るかで激しい議論が繰り広げられた。1841年1月22日、バーゼル州議会は駅を城壁の内側に建設することを決定した。その当時のバーゼルは国境の防備を固めている都市であり、ストラスブール・バール鉄道がフランス資本の会社であることとあいまって、政治的・宗教的な、あるいは都市計画の面からの賛否が分かれる決定であった。このため、鉄道を町の中に敷設せずに、シャンツェン通り(Schanzenstrasse)の位置で城壁を取り壊してシェーレメーテリ(Schällemätteli)刑務所の位置に駅を建設することが提案された。 1843年6月12日、鉄道会社は全ての法的・財務的・建築規制上の点を考慮した鉄道施設の建設計画を決定し、最終的な認可を得た。鉄道会社は、町が新たに建設する堀を越える橋と城壁に設けた鉄製の落とし戸つきのゲートを通って町へ入るように、鉄道設備と関連の建物を建設することになった。町の当局はそのために必要な土地を無償で提供することになった。1年後、1844年にアルザス線は城壁の外側に到達し仮駅を設け、さらに1845年にバーゼルに到達し、バーゼルはスイスで最初に鉄道が敷かれた町となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バーゼルSNCF駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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