翻訳と辞書
Words near each other
・ バーズム
・ バーズ・テイル
・ バーセベック原子力発電所
・ バーセリオス・クレーミス
・ バーセルミー・カトリーヌ・ジュベール
・ バーセル指数
・ バーゼル
・ バーゼル, 1969
・ バーゼルSBB駅
・ バーゼルSNCF駅
バーゼルの和約
・ バーゼルフェア
・ バーゼルワールド
・ バーゼル・カーニバル
・ バーゼル・スコラ・カントルム
・ バーゼル・スコラ・カントールム
・ バーゼル・バディッシャー駅
・ バーゼル・バーディッシャー駅
・ バーゼル・ファスナハト
・ バーゼル・フェア


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

バーゼルの和約 : ミニ英和和英辞書
バーゼルの和約[ばーぜるのわやく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [やく]
  1. (adv,n) approximately 2. about 3. some 

バーゼルの和約 : ウィキペディア日本語版
バーゼルの和約[ばーぜるのわやく]

バーゼルの和約(バーゼルのわやく、Peace of Basel)は、フランス革命戦争の講和条約の1つ。
1795年4月5日プロイセン王国が、7月22日スペイン王国が、8月28日ヘッセン=カッセル方伯フランス共和国との間に講和条約を締結した。フランスとスペインとの講和条約は第二次バーゼルの和約とも呼ばれる。
== 概要 ==
フランス革命への干渉を目的として、プロイセンは1792年に、スペインは1793年にフランス革命政府への宣戦布告を行った。戦況は当初第一次対仏大同盟側の有利に進んだが、フランスは国家総動員体制の整備などによって反撃に転じ、逆に両国の領土内へ攻め入る勢いを見せた。
1795年に至ってプロイセンは戦争の継続を断念し、フランス革命政府との講和を決めた。講和はバーゼルで行われ、フランスからはスイス公使のバルテルミー、プロイセンからはゴルツハルデンベルクが交渉にあたった〔ソブール 下145〕。講和によってプロイセンはフランスのラインラント併合を認め、引き換えにライン川以東のフランス軍占領地域はプロイセンへ返還された。同年、スペインもフランスと和平し、占領地域の回復と引き換えに革命政府の承認とサントドミンゴの割譲を認めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バーゼルの和約」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.