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バーデン大公国邦有鉄道IVf型蒸気機関車(バーデンたいこうこくほうゆうてつどうIVfがたじょうききかんしゃ、)は、バーデン大公国邦有鉄道が保有した車軸配置2'C1'(パシフィック)の急行用テンダー蒸気機関車である。 1907年から1913年にかけて4回に分けて合計35両が製造された。 本形式はドイツで最初に軸配置をパシフィックとした蒸気機関車であり、アルフレッド・ドゥ・グレーン(Alfred De Glehn考案のドゥ・グレーン(De Glehn)式複式4気筒機であるフランスのパリ・オルレアン鉄道4500型〔1907年にNos.4501・4502の2両がアルザス機械製造会社(Société alsacienne de constructions mécaniques:SACM)で試作され、本形式より数か月早く就役した。〕に続き、ヨーロッパでは2番目に実用化されたものであった。 後にドイツ国内の各邦有鉄道を統合してドイツ国営鉄道(ドイツ国鉄)が成立した際には、各邦有鉄道から編入されたパシフィック機群において王立ザクセン邦有鉄道XVIII H型(ドイツ国鉄18.0形)、王立ヴュルテンベルク邦有鉄道C型(ドイツ国鉄18.1形)に続く第3グループとされ、18.2形〔ドイツ国鉄では、日本国鉄であれば“18形200番台”と形式区分を表記されるであろう、“18 2xx”(xxは任意の数値)という番号の車両の形式称号を“182形”ないしは“18.2形”、と基幹形式名と区分番台の100の位以上の数値を組み合わせて表記する。このため例えば“18 201号機”は“182形1号機”ないしは“18.2形1号機”とも表記されることになる。一般に日本で出版されている書籍等では前者が用いられることが多いが、本項では可読性を重視し、この脚注を除き全て後者を用いて表記している。〕という形式名を与えられた。 == 製造経緯 == 20世紀に入ると、各国の鉄道ではボギー車の実用化などに伴う車両の大型化や輸送需要の増大などにより、従来よりも大きく強力、かつ高速運転可能な機関車が求められるようになった。 その潮流はドイツにおいても同様で、南部に位置し石炭の入手条件の悪いバーデン大公国でも、大公フリードリヒ1世の自由主義的経済振興政策推進や地域開発・軍事輸送を目的とした鉄道網の整備推進もあって国内の機関車需要は急増し続け、従来より高性能な機関車が必要とされるようになった。このため、当時バーデン大公国邦有鉄道で機関車製造担当官を務めていたアレクサンドル・クールタン(Alexander Cortin)と、隣国バイエルンの首都ミュンヘンに所在した有力機関車メーカー、J.A.マッファイの製造部長であったアントン・ハンメル (Anton Hammel 1857 - 1925)らが協力し、1902年にドイツ初の大型急行用機関車とされるフォン・ボーリース(von Borris)式複式4気筒〔1899年に、当時プロイセン邦有鉄道の技師長(Chief Mechanical Engineer:CME)であったアウグスト・フォン・ボーリース(August von Borries:1852–1906)が完成した複式蒸気機関の一方式。〕テンダー機(軸配置2'B1')のIId型〔後のドイツ国鉄14.4形。Nos.733 -744の12両が1902年にJ.A.マッファイ社によって製作され、さらに1905年から1906年にかけてカールスルーエ機械製造によってNos.745 - 750の6両が追加製作されている。〕が開発された。 この機関車はボイラーから発生する蒸気をシリンダーへ送り込んだ後、そのまま煙突から排出してしまう単式ではなく、シリンダーからの排気を回収し別の低圧シリンダーへ送り込んで再利用することで炭水消費率の低減をねらった複式が採用され、2,100 mm径の大動輪を採用したこともあって最高速度144km/hを記録、J.A.マッファイの本国であるバイエルンの邦有鉄道にもほぼそのままの設計でS2/5型(後のドイツ国鉄14.1形)として1904年に10両が採用されるほどの成功を収めた。 だが、この強力かつ高速な機関車であっても、急ペースで増大し続ける列車重量に対応することは難しく、そのためより強力な機関車を求めるバーデン大公国邦有鉄道は1905年にIId型に代わるべき急行用新型機関車の公開設計コンペティションを開催した。 このコンペティションに参加したJ.A.マッファイは実績のあるIId型の基本設計をベースとしつつ、当時機関車設計で先進国となりつつあったアメリカの最新技術や流行を導入し、動軸を1軸追加し軸配置2'C1'として強固な棒台枠を採用した機関車を提出、最終的にこのコンペティションの勝者となった。 もっとも、斬新な設計を多数盛り込んだ結果、この新型機の具体設計は遅れ、実際の車両製造開始は1907年にずれこんだ。しかも、J.A.マッファイ自身は3両の試作車を受注するに留まり、続く量産車32両は同社からライセンスを受けたバーデン大公国国内の車両メーカーであるが受注、1909年・1912年・1913年と3回に分けて製造・納品されている。 本形式はその高性能と優美な外観形状によって好評を博し、設計を担当したJ.A.マッファイは以後その設計を基本として動輪径を1,870 mmあるいは2,000 mmへ拡大、ボイラーの設計を改良したS3/6型(後のドイツ国鉄18.4形・18.5形)を王立バイエルン邦有鉄道のために設計、これはドイツ国鉄時代になってなおも追加製作が実施されて総数159両に達し、長期間にわたって幹線系の代表的優等列車牽引に充当されるというドイツの蒸気機関車史上でも有数の成功作となった。さらに、本形式の設計にS3/6型などでの経験がフィードバックされ、弁装置やシリンダーレイアウトなどを見直し、動輪径を2,100 mmに拡大した高速運転対応仕様の複式4気筒機であるIVh型(後のドイツ国鉄18.3形)が1918年にやはりJ.A.マッファイによってバーデン大公国邦有鉄道のために設計されている。こちらは生産数が20両に留まったものの、ドイツ国鉄統合後にS3/6型と共に特急「ラインゴルト」の牽引機として抜擢されるなど、当時のドイツを代表する高速旅客列車用蒸気機関車の一つとなっている。 このように、本形式の設計とその成功はドイツの蒸気機関車設計の歴史において重要な位置を占め、1961年にドイツ国営鉄道(東ドイツ側の国鉄)が、戦前にヘンシェルヴェーグマンと呼ばれる軽量高速列車牽引専用機として設計された61形タンク機を改造して高速旅客列車牽引用テンダー機へ改造した際には、ドイツ最初のパシフィック機を記念して本形式のトップナンバーと同じと付番されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バーデン大公国邦有鉄道IVf型蒸気機関車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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