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イザベラ・バード(, 1831年10月15日 - 1904年10月7日)は、イギリスの女性旅行家、紀行作家。明治時代の東北地方や北海道、関西などを旅行し、その旅行記(日本語題『日本奥地紀行』『バード 日本紀行』)を書いた。また4度にわたり李氏朝鮮を訪れて『朝鮮紀行』を書いたことでも知られる。 フルネームはイザベラ・ルーシー・バードで、1881年に妹の侍医であったジョン·ビショップと結婚。1881年以降イザベラ・バード・ビショップ()、ビショップ夫人とも称す〔イザベラバード『伝記ノート』、ハワイ諸島、電子ブック、(2004)〕。 == 略歴 == イギリス・ヨークシャーで牧師の長女として生まれる。妹の名はヘニー。幼少時に病弱で、時には北米まで転地療養したことがきっかけとなり、長じて旅に憧れるようになる。アメリカやカナダを旅し、1856年、を書いた。その後、ヴィクトリアン・レディ・トラヴェラー(当時としては珍しい女性旅行家)として、世界中を旅した。1893年英国地理学会特別会員となる。 1878年(明治11年)6月から9月にかけて、通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉を供とし、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した(所々で現地ガイドなどを伴うこともあった)。また10月から神戸、京都、伊勢、大阪を訪ねている。これらの体験を、1880年、2巻にまとめた。第1巻は北日本旅行記、第2巻は関西方面の記録である。この中で、英国公使ハリー・パークス、後に明治学院を設立するヘボン博士(ジェームス・カーティス・ヘボン)、同志社のJ.D.デイヴィスと新島夫妻(新島襄・新島八重)らを訪問、面会した記述も含まれている。その後、1885年に関西旅行の記述、その他を省略した普及版が出版される。本書は明治期の外来人の視点を通して日本を知る貴重な文献である。特に、アイヌの生活ぶりや風俗については、まだアイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況をつまびらかに紹介したほぼ唯一の文献である。 また、清国、クルディスタン、ペルシャ、チベットを旅し、さらに1894年から1897年にかけ、4度にわたり末期の李氏朝鮮を訪れ、旅行記(『朝鮮紀行』)を書いている。 中国への再度の旅行を計画していたが、1904年に73歳の誕生日を前にして死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イザベラ・バード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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