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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
バーナード・キング(Bernard King 、1956年12月4日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリン区出身のNBAで活躍したプロバスケットボール選手。 1980年代を代表するスモール・フォワード。長い腕とクイックリリース、ファーストブレークの際のスピードを武器に高い得点力を誇った。1984-1985シーズンには得点王となっている。弟のアルバート・キングも1981年から1992年までNBAでプレーした。 == キャリア == テネシー大学出身。1977年のNBAドラフト全体7位でニューヨーク・ネッツに指名されて入団した。チームはその数ヵ月後ニュージャージー州に移転してニュージャージー・ネッツとなった。1年目の1977-1978シーズン、彼はチーム記録となる1909得点(1試合平均24.2得点)をあげた。その後1983-1984シーズンには自己の記録を更新する2027得点をあげて2年連続でオールNBAファーストチームに選ばれた。 1984年1月31日の試合で彼はNBAでは1964年以来の記録となる2試合連続で50得点以上をあげる快挙を達成した。1月30日のサンアントニオ・スパーズ戦で23本中20本のシュートを決めフリースロー10本を成功し50得点をあげていた彼は31日の試合では28本中20本のシュートを決めフリースロー10本を成功し50得点をあげチームはロードで連勝した。1984年12月25日の試合では60得点をあげて史上10人目となる1試合60得点以上をあげた選手の仲間入りを果たした。キャリアのピークを迎えていた〔1984-1985シーズン彼は1試合平均32.9得点(NBA歴代21位の記録)をあげていた。〕彼は1985年3月23日にカンザスシティで行われたカンザスシティ・キングスとの試合で右ひざの前十字靭帯を損傷し翌1985-1986シーズンも全休した。復帰後6試合で平均22.6得点をあげたものの爆発的な得点力を失った彼は1987年シーズン終了と共にニックスから放出されワシントン・ブレッツに移った。ブレッツに移ってから彼は年ごとに平均得点を回復させ1991年にはNBAオールスターゲームに6年ぶり4度目となる出場を果たした。その後ネッツに復帰した彼は1993シーズン終了と共に現役を引退した。通算874試合に出場、19665得点(1試合平均22.5得点)で現役引退時点では歴代16位の得点であった。彼よりも少ない出場試合数で通算得点が多いのはジョージ・ガービン、ボブ・ペティット、エルジン・ベイラーのみであった。 2004年に彼はバスケットボール殿堂入り候補にノミネートされたが現在までに選出はされていない。出場試合数が少なかったことも影響していると言われている。 2006年のNBAオールスターゲームの際にTNTのマーブ・アルバートによって10年前の1996年に選出されたNBA50周年記念オールタイムチームに次ぐ10人の1人にあげられた〔TNT showcases the NBA's "Next 10" greatest players 〕。 2007年2月13日、テネシー州ノックスビルのトンプソン=ボーリング・アリーナ(テネシー大学の本拠地)で行われたケンタッキー大学(NCAAの強豪だが彼の在学中チームは対戦成績で史上2位の5連勝を果たしている。)との試合の際に彼の背番号53番が大学初の永久欠番となるセレモニーが行われた(後に彼のチームメートのアーニー・グランフェルドの背番号も永久欠番となった。)〔UNIVERSITY OF TENNESSEE RETIRES BERNARD KING'S NUMBER @ UTsports.com〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バーナード・キング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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