翻訳と辞書
Words near each other
・ バーナード・ジェンセン
・ バーナード・ジャン・ベッテルハイム
・ バーナード・スティーブンス
・ バーナード・スティーブンズ
・ バーナード・スティーヴンス
・ バーナード・スティーヴンズ
・ バーナード・スレード
・ バーナード・ダン
・ バーナード・チュミ
・ バーナード・デイビス
バーナード・デ・マンデヴィル
・ バーナード・トミック
・ バーナード・トミッチ
・ バーナード・ドゥーン
・ バーナード・ハイデン
・ バーナード・ハワード (第12代ノーフォーク公)
・ バーナード・ハワード (第12代ノーフォーク公爵)
・ バーナード・ハーマン
・ バーナード・バトラー
・ バーナード・バルーク


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

バーナード・デ・マンデヴィル : ミニ英和和英辞書
バーナード・デ・マンデヴィル[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

バーナード・デ・マンデヴィル : ウィキペディア日本語版
バーナード・デ・マンデヴィル[ちょうおん]

バーナード・デ・マンデヴィル(Bernard de Mandeville、1670年11月20日(洗礼日)〔英語版 wikipedia では11月15日となっているが、『蜂の寓話』の「訳者あとがき」に従った。泉谷治訳『蜂の寓話――私悪すなわち公益』p.397参照。〕 - 1733年1月21日)は、オランダ生まれのイギリスの精神科医で思想家風刺散文)である。主著『蜂の寓話――私悪すなわち公益』(原題 ''The Fables of the Bees: or, Private Vices, Public Benefits'' )は、多くの思想家に影響を与え、思想史経済史などで重要な位置を占める。マンデヴィルは、イギリス文学史でも18世紀の代表的な散文家のなかに名前をつらねている。
== 略歴 ==
重商主義経済で当時繁栄していたロッテルダムの名門の家に生まれた。父方では政治家、学者、医者、母方のヴェルハール家では海軍士官が輩出した家系であった。1685年に同市のエラスムス学校を卒業。ついでライデン大学で医学を修め、1691年には医学博士の学位を得て、神経系統の医者として開業した。当時のオランダは思想的にも人文主義自由主義のかおり高く、大学時代にマンデヴィルは哲学をも研究していた〔1689年に哲学の学位論文を提出。〕。エラスムスはもとより、ベールラ・ロシュフコーガッサンディホッブズロックスピノザモンテーニュなどの影響をうけた。まもなく英語を学ぶためにロンドンへ行き、そこで開業しながら永住することになった。医者としての評判はよく、1699年にルース・エリサベス・ローレンスというイギリス人女性と結婚し、1733年1月21日に病死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バーナード・デ・マンデヴィル」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.