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バーニー・フシミ・ハジロ(Barney Fushimi Hajiro、1916年9月16日 - 2011年1月21日 )は、日系アメリカ人のアメリカ陸軍第442連隊戦闘団一等兵。第二次世界大戦時の活躍により、名誉勲章受章者となった。 == 経歴 == 第一次世界大戦中に広島県からマウイ島に渡ったの両親のもと、9人兄弟の2番目の子供として生まれる。家庭は貧しく、兄弟のうち2人は幼少期に亡くなっている。バーニーも家計を助けるべく学校を中退し、サトウキビ畑の手伝いを経験した後、ホノルルで港湾労働者として働いた。1941年12月の真珠湾攻撃の直後に陸軍へ徴兵され、工兵大隊の一員として単純作業に従事した。 1943年3月に、自身と同じ日系二世で編成された第442連隊戦闘団に参加することを申し出た。442連隊はヨーロッパに派遣されて、1944年5月にイタリアのローマ北部で、ナチス・ドイツ軍と戦火を交えた。そこから、442連隊はフランスに移動して、1944年10月19日に同国東部のブリュイエールとビフォンテーヌでの戦闘に参加した。同日から10日に亘って、ハジロはその戦いぶりから、度々その名を知らしめることとなった。10月19日には、味方を助けるべく自ら敵の攻撃の標的となり、3日後には仲間と共に敵のパトロール部隊18名を待ち伏せて撃滅した。10月29日の、ヴォージュ山脈においてドイツ軍に包囲された、いわゆる「失われた大隊」の救出作戦の際には、肩と手首を撃たれて左腕が麻痺してしまうまで、独力で2つのドイツ軍の機関銃座を破壊した。彼は、モンテカルロにおいて再び442連隊に合流することが出来たが、怪我によって除隊を命じられ、治療のために帰国することとなった。 1944年10月の一連の行為によって、ハジロには除隊前に殊勲十字章が授与された。1948年には、「失われた大隊」の救出に貢献したことにより、イギリス政府から武勲勲章が授与された。1990年代になって、全てのアジア系アメリカ人の殊勲十字章受賞歴を再調査したところ、名誉勲章に格上げされることとなった。2000年6月21日にホワイトハウスで執り行われた式典において、ビル・クリントン大統領から名誉勲章が贈呈された。2004年には、フランス政府からレジオンドヌール勲章を授与された。 2011年1月21日、ハワイ州のワイパフで死去。ジョン・ウィリアム・フィンが2010年5月27日に歿した後は、最高齢の名誉勲章受章者であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バーニー・F・ハジロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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