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バーニー・ジョフリオン : ミニ英和和英辞書
バーニー・ジョフリオン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

バーニー・ジョフリオン : ウィキペディア日本語版
バーニー・ジョフリオン[ちょうおん]

バーニー・ジョフリオンBernard Joseph Andre Geoffrion1931年2月14日 - 2006年3月11日)は、カナダケベック州モントリオール生まれのプロ・アイスホッケー選手、コーチである。NHLでは16シーズンのキャリアを持ちモントリオール・カナディアンズニューヨーク・レンジャースでウイングとして活躍した。1972年にはホッケーの殿堂入りを果している。愛称はブーン・ブーン("Boom Boom")であるが、その由来については後述する。
== 来歴 ==

=== カナディアンズ時代 ===
ジョフリオンは、14歳からカナディアンズのマイナーチームに所属し、1951年2月14日からメジャーチームの一員となった。NHL初シーズンで18試合しか出場経験がなかったため翌シーズンにも新人王(カルダー記念賞)の受賞資格を保有していた。そして翌シーズン、伝家の宝刀ともいえるスラップショットを駆使し30ゴール、24アシストを上げ同賞を獲得した。
1961年にはNHL史上でチームメートであった"ロケット"・リシャールに次いで2人目となる1シーズン50ゴールを上げた。モントリオール・カナディアンズでは、スーパースターで左ウイングのリシャール、センターのジャン・ベリヴォーと同じラインで右ウイングを務め、チームを6度のスタンレー・カップ優勝に導いた。
16シーズンの現役生活で、883試合に出場し393ゴール、429アシストを上げるとともに、689分のペナルティ・ミニッツの記録を残した。ジョフリオンの現役当時は、乱戦模様の試合が数多く見られた時代で、その証として彼も鼻骨骨折6度、全身の縫い跡400針を負ったといわれる。1958年には、練習中の事故で大怪我を負い、緊急手術で命が助かるといった経験もしている。その怪我をしたシーズンには、医者の出場見合わせの勧めにも関わらず、6週間後にリンクに戻りスタンレー・カップの決勝戦に出場している。
ジョフリオンに対する選手としての評価は、同時代にチームメートのモーリス・リシャール、ライバルのデトロイト・レッドウィングスゴーディ・ハウアンディ・バスゲイトらの抜群の選手の陰に隠れがちであって、リーグ全体に名の通るスーパースターの地位を確立するところまでは行かなかったといわれる。事実、1955年(いわゆるリシャール暴動のあった年)には、リシャールを1ポイント差でかわして、得点王に輝いているが、それでもNHLオールスター戦の第2チームにしか選抜されなかった。このことから、内心は不満を抱いてホッケーを止めようとまで考えたが、リシャールやベリヴォーらの説得で踏みとどまったこともあるといわれる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バーニー・ジョフリオン」の詳細全文を読む




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