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バーラージー・ヴィシュヴァナート(マラーティー語:बाळाजी विश्वनाथ, 英語:Balaji Vishvanath, 1660年頃あるいは1662年1月1日 - 1720年)は、インドのデカン地方、マラーター王国の世襲における初代宰相(ペーシュワー、1713年 - 1720年)。マラーター同盟の盟主でもある。 彼の宰相就任以降、その後一世紀にわたりその子孫がマラーター王国の宰相とマラーター同盟の盟主を独占することになり、その地位が世襲される形が19世紀まで続いた。 ==生涯== ===幼少期・青年期=== 1662年1月1日、バーラージー・ヴィシュヴァナートは、コンカン地方のバラモン・カーストであるコンカナスタあるいはチットパーワンの家系に生まれた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p212〕。ただ、生年に関しては諸説あり、だいたい1660年頃とされている。 バーラージー・ヴィシュヴァナートに関する幼少期および青年期は殆ど知られておらず〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p212〕、もはや伝承といった形でしか伝わっていない。彼はコンカン地方シュリーヴァルダンの郷主ヴィシュヴァナート・パントの息子として生まれたが、その地域のシーディーと呼ばれるムスリムの迫害を受け、コンカン地方を離れてデカンに向かった〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p212〕。その間、彼はずっとチプルーンで製塩職人として働いていたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バーラージー・ヴィシュヴァナート」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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