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バーリー・グライムス : ミニ英和和英辞書
バーリー・グライムス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

バーリー・グライムス : ウィキペディア日本語版
バーリー・グライムス[ちょうおん]

バーリー・グライムスBurleigh Arland Grimes, 1893年8月18日 - 1985年12月6日)は、1910 - 1930年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手ウィスコンシン州エメラルド生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Ol' Stubblebeard"。これは登板予定日にゲンを担いで『無精ひげ』を生やしていたことに由来する。現役19年で7球団を渡り歩き、通算270勝を挙げた。1920年以降もスピットボールを投げることを認められていた投手の一人。
==略歴==
1916年にマイナーのバーミンガムからピッツバーグ・パイレーツに入団。同年メジャーデビューし6試合に登板。翌年の1917年は防御率3.53ながら3勝16敗と大きく負け越し、ケーシー・ステンゲルらとの交換でブルックリンにトレードされた。
ブルックリンに移籍した1918年、グライムスは19勝9敗と好投し先発に定着する。1920年のルール改訂時に引き続きスピットボールの使用が認められたこともあり、1921年には22勝、奪三振136で投手部門の二冠を獲得、1924年までにシーズン20勝を4度達成した。
1926年シーズンでブルックリンを離れてからは、ほぼ毎年のように違うチームで投げていた。1928年にはパイレーツに在籍し自身最多の25勝を上げ2度目の最多勝利投手となったが、翌年のオフにはブレーブスへ移る。更に1930年にはカージナルスへ移りワールドシリーズに2度出場、翌年のカブス在籍時も含め、ワールドシリーズには計4度、3つの違うチームから出場したことになる。1934年にパイレーツで現役を引退、1937年からは2年間ブルックリンの監督も勤めた。
1964年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1985年にウィスコンシン州で永眠。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バーリー・グライムス」の詳細全文を読む




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