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南波照間島
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南波照間島(ぱいぱてぃろーま)は、日本の沖縄県・八重山諸島に属する波照間島のさらに南にあるとされた伝説上の島。大波照間島とも呼ばれる。 呼称の「ぱいぱてぃろーま」または「ぱいぱてぃろー」は、八重山方言で「南(ぱい)の果て(ぱて)のサンゴ礁(ろーま、琉球語の「うるま」)の島」の意。 == 概要 == 琉球王府に八重山諸島の諸事を報告した文書である『八重山島年来記』には、1648年に波照間島平田村の農民40~50人が重税から逃れるために大波照間に渡ったという記述が残っている〔「石垣市史叢書13 八重山島年来記」p28 石垣市 平成11年2月13日発行〕。また、波照間島には、ヤグ村のアカマリという男が、税を取り立てに来た役人の船を奪い、村人を連れて南波照間島に向かったとの伝承がある。 波照間島を含む八重山諸島では、琉球王国時代の1637年から1903年までの間、人頭税という過酷な税が課されていたので、『八重山島年来記』が伝える年代はこの課税の期間と整合する。 伝承としてみる場合には、南波照間島は琉球列島に伝わるニライカナイ伝説の一類型と考えられる。また、実在の確かでない地への渡航には、那智浜から浄土を目指して船出する補陀落渡海との共通性が見いだせる。 現在のところ、南波照間島が想像上の島であるのか実在する島であるのか、実在する島であるとすればどの島のことであるのかは明らかでない。また、『八重山島年来記』に記された伝承が事実であるのか、事実であるとすれば、島民達は実在する島を目指したのか、伝説上の未知の島を目指したのか、そしてその島に着くことができたのかのかも不明である。南波照間島が実在する島であるとの説を採る場合、その比定地には、台湾、台湾南東沖の緑島(火焼島)や蘭嶼島、フィリピンのルソン島等の諸説がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南波照間島」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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