|
パインボウルは、2008年度まで及び2011年度以降行われている北海道学生連盟の代表校と、東北学生連盟の代表校が対戦する日本学生アメリカンフットボール協会主催のボウルゲームである。正式名称はアメリカンフットボール北日本大学王座決定戦パインボウルである。 2008年度までの勝利校は、アメリカフットボール東日本大学王座決定戦シトロンボウルへの出場権を獲得していた。2009年度に全国8連盟による全日本大学アメリカンフットボール選手権が開始されたために一旦休止された。2011年度に全日本大学アメリカンフットボール選手権のフォーマットが変わり、東日本代表校準決勝戦が再び北海道と東北の代表で争われることになったため、名称が復活することになった。勝者は東日本代表決定戦で関東代表と対戦する。 なお、1996年までは地区対抗王座決定戦(現在は廃止)への出場権が獲得できた。 == 歴史 == 北海道学生連盟の代表校と、東北学生連盟の代表校が対戦し、地区対抗王座決定戦の代表校を決める試合は、東日本学生王座決定戦(現在のシトロンボウルとは異なる)として、1989年以前から存在した。東日本学生王座決定戦の初開催は1986年である。 開催の端緒は、九州、中四国地区から東日本地区との全国的な交流を打診されたことによる。 当時、大学アメリカンフットボールは全国を統括する組織が未整備であり、また競技の歴史的経緯から全国大会が長年実施されてこなかった。 歴史の長い競技組織である関東学生連盟と関西学生連盟が東西大学王座決定戦として甲子園ボウルを実施してきたが、この両連盟に加盟できない地方リーグには甲子園ボウルへの道はなかった。 そこで、九州学生連盟と中四国学生連盟が、それぞれの代表校が対戦する平和台ボウルを1985年に創設し、関西・関東学生連盟を通じて東日本地区へ働きかけ、甲子園ボウルに参加できない地区の全国大会である地区対抗王座決定戦実施を前提に、平和台ボウルと同様にその出場校を決定する地区大会として関東学生連盟の後押しもあり実施される運びとなったものである。 1989年以前においては、 北海道、東北の両リーグ代表校の遠征経費や対戦の条件を公平にすること、並びに気候上の関係のため、関東学生連盟が大会の設営にあたったため両リーグ代表校が遠征し、駒沢運動公園補助グラウンド等、関東地区の球技場が試合会場となっていた。 この大会も回を重ねる毎に地区対抗王座決定戦の出場校を決めるだけでなく、地方学生連盟が主管することにより大会運営能力を向上させるとともに、ゲーム自体を地区の活性化や普及のための事業として利用すべきとの合意の下、北海道・東北両リーグ地域で交互にボウルゲームとして昇格開催することとなった。 以上の経緯からパインボウルの副題の名称で初めて開催されたのは、第5回大会の1990年からである。 この年の受け持ちは東北学生連盟であった。東北学生連盟では地元のテレビ局である仙台放送とタイアップしてスポンサーを募り、北海道と宮城県の同時2地区放映のゲームとして実施した。 この時は、ミサワホームがスポンサーとなり、ミサワ パインボウルの名称であったが、その後ミサワホームはスポンサーから撤退し、現在はスポンサーのつかないボウルゲームとなっている。 またパインボウル出場権を決める北海道学生アメフト選手権は1991年から数年間パインボウルも放送したuhb北海道文化放送で中継した。後に円山ボウルと改名された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パインボウル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|