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パウエル・ナツラ(、Paweł Nastula、男性、1970年6月26日 - )は、ポーランドの柔道家、総合格闘家。ワルシャワ出身。チーム・ナツラ所属。アトランタオリンピック男子柔道95kg級金メダリスト。身長186cm〔Biography and Olympic Results 〕。 一本背負投や朽木倒しを自在に使いこなす立ち技の腕もさることながら、その寝技の実力はヨーロッパ随一と言われ、バルセロナ、アトランタ、シドニーと、オリンピック3大会に連続出場〔。アトランタオリンピックでは、95kg級で金メダリストとなった。、近代柔道史上屈指の名選手。 ポーランドの首都ワルシャワでフィットネスクラブ 『ナツラ柔道フィットネスクラブ』 を経営し、実業家として成功している。クラブには柔道場も併設されており、ナツラ自ら初心者、一般、女性、子供たちに柔道を教えるクラスがある〔Nastula Judo Fitness Club 〕。 ちなみに、名前の正しい発音はパヴェウ・ナストゥーラであり、パウエル・ナツラは英語風のリングネームである。一時期、パウェル・ナスツラとも表記された。 == 来歴 == 1996年、アトランタオリンピック柔道95kg級で優勝し、金メダルを獲得した。 2005年2月20日、ヨアンナ夫人とPRIDE.29をリングサイドで観戦した。 2005年6月26日、PRIDE初参戦となったPRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDでアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、マウントパンチでTKO負け。 2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005でエメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦し、スリーパーホールドで一本負け。 2006年7月1日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDでエジソン・ドラゴと対戦し、腕ひしぎ十字固めでPRIDE初勝利を挙げた。 2006年10月21日、アメリカで開催されたPRIDE.32でジョシュ・バーネットと対戦し、アンクルホールドで一本負け。試合後の薬物検査でステロイドの陽性反応が検出され、ネバダ州アスレチック・コミッションから9か月の出場停止と6,500ドルの罰金を受けた。 2008年8月24日、戦極初参戦となった戦極 〜第四陣〜でヤン・ドンイと対戦。2ラウンドに金的攻撃を主張し、股間を押さえてひざまついたところ、レフェリーに戦意喪失と判断されTKO負けを喫した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パウエル・ナツラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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