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パウェル湖()は、アメリカ合衆国ユタ州とアリゾナ州に跨り、コロラド川の途中にある貯水池(人工湖)である。その大半はレインボーブリッジと共にユタ州内にある。毎年約200万人が訪れる観光スポットでもある。満水時の貯水量は24,321,000エーカー・フィート (30 km3) あり、アメリカ合衆国ではネバダ州とアリゾナ州にまたがっているミード湖に次いで第2位の人工貯水池である。議論の多かったグレンキャニオンダムでグレンキャニオンに水を湛えて湖になった。夏の観光地であるグレンキャニオン国定レクリエーション地域も造られることになった。パウェルという名前は、南北戦争の時に右腕を失った退役兵の探検家ジョン・ウェズリー・パウエルに因むものである。パウェルは1869年に3隻の木製ボートでこの川を探検した。1972年にグレンキャニオン国定レクリエーション地域が設定された。アメリカ合衆国国立公園局が管理する公有地であり、民衆のレクリエーションのために公開されている。ユタ州南部のガーフィールド郡、ケーン郡、サンフアン郡、アリゾナ州北部のココニノ郡に入っている。パウェル湖の北端は少なくともハイトクロッシング橋まで伸びている。エスカランテ川 の合流点を中心におく地図ならば、パウェル湖の全貌が見られる。 パウェル湖はコロラド川協定の上流州(コロラド州、ユタ州、ワイオミング州、ニューメキシコ州)の貯水施設である。この協定では、上流州が下流州(アリゾナ州、ネバダ州、カリフォルニア州)に少なくとも年間 7,500,000 エーカー・フィート (9.3 km3) の水を供給することになっている。 == 歴史 == 1940年代と1950年代初期、アメリカ合衆国土地改良局がコロラド州、ユタ州、アリゾナ州の岩がちなコロラド高原地域で、コロラド川に一連のダムを建設する計画を立案した。グレンキャニオンダムは、議論があった末に現在恐竜国定公園になっているエコー公園に改良局が選定した場所に生まれることになった。シエラクラブのデイビッド・ブラウワーが指導した少数だが政治的に影響力のある反対者の集団が、エコー公園はその自然と景観の質であまりに貴重なので水に浸かってしまうのはもったいないと言い、改良局の案を変えさせた。 しかし、ダムの場所をグレンキャニオンとグランドキャニオンの間にあるリーズ・フェリー近くにすることに合意した時に、ブラウワーは何を失うことになるのか気付いていなかった。このときブラウワーはグレンキャニオンまで実際に行ったことが無かった。後に川を旅してグレンキャニオンを見たとき、アメリカの国立公園に匹敵する景観、文化、荒野の質があることを発見した。カラフルなナヴァホ砂岩でできたキャニオンの崖は80面以上あり、清澄な水流、豊富な野生生物、アーチ、自然橋、および数多いインディアンの考古学的遺跡があった。しかし、その時は改良局とその支配人のフロイド・ドミニーがグレンキャニオンダムを建設するのを止めるには遅すぎた。ドミニーは川を人間のために使うべきという固い信念を持っており。「自然は人間を改良できないことを認める。我々はおそらく至高の存在である」と語ったことがあった。ブラウワーは、川が手を付けられないままであるべきと考え、グレンキャニオンを失うことは、その人生の究極の失望になると考えた。 グレンキャニオンダムの建設は、1956年10月1日、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領がホワイトハウスの「オーバルオフィス」にあるその机のボタンを押すことで、最初の爆破を行い始められた。最初の爆破は水を逸らせるためのトンネルを明けるためだった。1959年2月11日、水がトンネルを通って迂回され、ダムそのものの建設が始まった。その年の後半、橋が完成してトラックがダムのための装置と資材を運べるようになり、ペイジという新しい町が生まれた。 1960年6月17日に日付が変わるころにコンクリート打ちが始まった。最後のコンクリートが注がれたのは1963年9月13日だった。総量では500万立方ヤード (4,000,000 m³) のコンクリートが使われた。ダムの高さは710フィート (216 m)、満水時の水面標高は3,700フィート (1100 m) である。ダムの建設に1億5,500万米ドルが投じられ、工事中に18人の生命が失われた。1970年から1980年、タービンと発電機が設置され水力発電が始められた。1966年9月22日、グレンキャニオンダムはレディ・バード・ジョンソンによって除幕された。 1966年9月13日にグレンキャニオンダムが完成した時、コロラド川が戻され、トンネルへの迂回が終わった。新しく水を湛えたグレンキャニオンがパウェル湖を形成した。高水位まで水が上ったのは1980年6月22日であり、17年かかった。その時から山岳部の雪解け水などで湖面はかなり上下してきた。 コロラド川の水流は2000年以降に平均以下にあり、湖面水位が下がっている。2005年冬(春の雪解け前)には水の充満以来の最低水位である標高3,550フィート (1,080 m) になった。満水時の3,700フィートから約150フィート (45 m) 下がったことになる。2005年以降、湖面は78フィート (24 m) 上昇し、2008年春から初夏に海抜3,628フィート (1,106 m) となった。2011年はダムができて以来6月としては3番目、7月としては2番目溢流水があり、7月30日の水位は3,661フィート (1,116 m) 近くになった。 2012年は2011年と真反対だった。2013年は2年連続で水位が下がった。水位が上がったのは5月下旬と6月であり、その後は流出水が勝っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パウエル湖」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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