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パオリの戦い : ミニ英和和英辞書
パオリの戦い[ぱおりのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

パオリの戦い : ウィキペディア日本語版
パオリの戦い[ぱおりのたたかい]

パオリの戦い(、またはパオリ酒場の戦いパオリ虐殺 )は、アメリカ独立戦争中の1777年9月20日に、フィラデルフィア方面作戦の間に現在のペンシルベニア州マルバーン周辺で起きた戦闘である。ブランディワインの戦いクラウズの戦い大陸軍が撤退した後、ジョージ・ワシントンアンソニー・ウェイン准将の指揮で部隊を後に残し、アメリカ側の首都であるフィラデルフィアに迫ろうというイギリス軍の動きを探り、場合によっては攻撃させようとしていた。9月20日の夜、チャールズ・グレイ少将の指揮するイギリス軍部隊が、パオリ酒場近くに宿営していたウェインの部隊を急襲した。アメリカ側の被害は比較的少なくはあったが、イギリス軍が捕虜を採ろうとせず、慈悲も示さなかったとされており、アメリカ側からは「パオリ虐殺」と呼ばれるようになった。
== 背景 ==

1777年9月11日のブランディワインの戦いで大陸軍が敗北した後、ジョージ・ワシントン将軍は2つの行動を採ろうとした。ウィリアム・ハウ中将が指揮するイギリス軍からフィラデルフィアを守ろうと考え、またレディングに保管されていた物資と弾薬で、急速に乏しくなった装備を補う必要性があった。ワシントンはスクーカル川を渡って後退し、フィラデルフィアを抜けて北西部に向かった。スクーカル川はマトソン浅瀬(現在のコンショホッケン)を水源とするかなり上流でのみ渡ることができたので、首都のフィラデルフィアと、川を障壁にした西部の重要補給地域の双方を守ることができるはずだった。しかし負傷兵やその荷物を運ぶための荷車が不足していたために、ワシントンは再考し、再度川を渡って、ブランディワイン以後動きの少なかったイギリス軍と対峙した〔McGuire, p. 30〕。その結果9月16日に起きたクラウズの戦いは悪天候のために中断され、ワシントン軍は再びスクーカル川を渡って後退し、後方にはチェスターに"マッド"・アンソニー・ウェイン准将の指揮するペンシルベニア師団を残した。イギリス軍部隊が通り過ぎようとすれば、ウェインはワシントンの命令に従ってその後を追い、その輜重隊の全部あるいは一部を捕まえようとした。
ウェインはその部隊の存在が敵に知られていないと見なし、パオリのイギリス軍前戦近くで宿営した。その師団は第1、第2、第4、第5、第7、第8、第10および第11ペンシルベニア連隊とハートリーの連隊で構成され、さらに砲兵1個中隊と竜騎兵の小部隊が付けられていた。総勢は約1,500名だった。約1マイル (1.6 km) 離れた所にはウィリアム・スモールウッドのメリーランド民兵隊約2,100名が宿営していたが、比較的経験の足りない部隊だった。
イギリス軍はウェインの部隊が地域にいるという噂を耳にし、ハウ将軍が放ったスパイから9月19日にはパオリ酒場近くにいるという報告を受けていた。トレディッフリンに宿営していたイギリス軍からは4マイル (6.4 km) だったので、ハウは即座に、比較的防備の薄いウェインの宿営地を攻撃する作戦を立てた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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