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パオロ・サヴォルデッリ : ミニ英和和英辞書
パオロ・サヴォルデッリ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


パオロ・サヴォルデッリ : ウィキペディア日本語版
パオロ・サヴォルデッリ

パオロ・サヴォルデッリ(Paolo Savoldelli、1973年5月7日-)はイタリアロンバルディア州ベルガモ県クルゾーネ出身の自転車プロロードレース選手。
1996年プロデビュー。2度のジロ・デ・イタリア総合優勝を果たしている実力者。猛烈なスピードで坂を駆けおりていく姿から「イル・ファルコ(il Falco:ハヤブサ)」の異名で呼ばれる。
== 経歴 ==

1996年にプロデビューし、キャリアを積んでいく。そして1998年に中級ステージレースのジロ・デル・トレンティーノで総合優勝。ジロ・デ・イタリアに向けての調整や仕上げに多くの有力選手が参加するこのレースで優勝したことで、注目され始める。
1999年もジロ・デル・トレンティーノを連覇し、ジロ・デ・イタリアではステージ1勝をあげて総合でも2位に入る大活躍を見せた。そして翌2000年もツール・ド・ロマンディで総合優勝。2001年もツール・ド・ロマンディでステージ2勝をあげた。
そして2002年のジロ・デ・イタリアでは、優勝候補のジルベルト・シモーニステファノ・ガルゼッリドーピング疑惑でレースを去ったことやフランチェスコ・カーザグランデが危険行為により失格となるなどもあって、タイラー・ハミルトンとの接戦を制して総合優勝を達成。しかしその後はチームの給料未払い問題に巻き込まれ、結局T-モバイルへ移籍。だが、そこでも度重なる病気や怪我により、優勝はおろかレースに出場することすらままならず、不遇を囲っていた。
そのため2005年にはディスカバリーチャンネルにチャンスを求めて移籍。そこで本来の実力を発揮し、3年ぶりの出場となったジロ・デ・イタリアでは途中までしのぎを削り合っていたイヴァン・バッソが腸炎を引き起こして脱落、終盤の山岳ステージにおけるジルベルト・シモーニの猛追をかわして、見事2回目の総合優勝をなしとげた。さらにツール・ド・フランスでもランス・アームストロングの総合7連覇のためにアシストを務めながら、自らも第17ステージで勝利。完全復活の印象を与えた。
2006年はジロ・デ・イタリアのプロローグの個人タイムトライアルで1勝したが、総合争いでは前年程の力を見せることが出来ず5位となった。ツール・ド・フランスでは第11ステージ終了後、ゴール地点の山頂からホテルへ向かうためにロードバイクで下山中、観客と接触して全身を強打する事故を起こし、翌日リタイアしてしまった。
2007年はアスタナ・チームに移籍。ツール・ド・ロマンディで総合2位に入り、エースとしてジロ・デ・イタリアに臨むが、山岳ステージで伸び悩み、途中でエディ・マッツォレーニにエースの座を譲ることとなった。しかしそれでも第20ステージの個人タイムトライアルではステージ優勝をあげる。ツール・ド・フランスでは所属していたアスタナのエース、アレクサンドル・ヴィノクロフにドーピング疑いが発生したことで、チームも棄権。以後はチーム自体がメジャーレースに参加する機会がなくなり、活躍の場を奪われることになった。
2008年からは、コンチネンタルプロチームのLPR に移籍。ジロ・デ・イタリアでは同じく移籍のダニーロ・ディルーカのアシストとして活躍。2008年シーズンをもって現役を引退した。 

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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