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パキスタン宇宙上層大気研究委員会 : ミニ英和和英辞書
パキスタン宇宙上層大気研究委員会[かい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちゅう]
 【名詞】 1. space 2. air 3. midair 
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
大気 : [たいき]
 【名詞】1. atmosphere , air
: [げ, き]
  1. (suf) (uk) seeming 2. giving the appearance of 3. giving one the feeling of
研究 : [けんきゅう]
  1. (n,vs) study 2. research 3. investigation 
委員 : [いいん]
 【名詞】 1. committee member 
委員会 : [いいんかい]
 【名詞】 1. committee meeting 2. committee 
: [いん]
  1. (n,n-suf) member 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

パキスタン宇宙上層大気研究委員会 ( リダイレクト:パキスタン宇宙高層大気研究委員会 ) : ウィキペディア日本語版
パキスタン宇宙高層大気研究委員会[ぱきすたんうちゅうこうそうたいきけんきゅういいんかい]
パキスタン宇宙高層大気研究委員会パキスタンにおける宇宙計画航空工学航空宇宙工学の研究責任を持っているパキスタン政府の行政機関
近代的な組織としては1961年に設立者であるアブドゥッサラームの進言を受けて大統領のムハンマド・アイユーユブ・ハーンの行政命令で設立された。この組織はパキスタン軍戦略計画本部(SPD)の一部で、退役軍人のKhalid Kadwai中将が本部長であった。SPDの本部はパキスタン空軍の運営するChaklala宿営地に存在した〔History of SUPARCO 〕。
現在はAhmed Bilal少将が委員長であり、Ahmed Bilal少将はパキスタン陸軍通信技術の総司令でもある。
== 歴史 ==
宇宙科学での研究と航空開発は、スプートニク打ち上げ成功後の1957年から〔Fayyazuddin, Professor Abdus Salam as I know him, National Center for Physics〕パンジャブ大学の物理学科の物理学者によって行われている。しかしながら政治的不安定のため、パキスタン政府は計画を本気で着手しなかった。パキスタンの科学政策に大きな役割を果たしたアブドゥッサラームは、1961年9月16日に陸軍元帥で大統領のアイユーブ・ハーンに国立宇宙機関である宇宙高層大気研究委員会(SUPARCO)の設置を進言した。これによって宇宙科学を扱う委員会を設立することが決められ、大統領の実効命令が出され、パキスタン原子力委員会(PAEC)の議長であったI. H. Usmaniの提案をうけて、PAECに宇宙科学研究飛行団が設置された。ロケットの研究や試験飛行はPAECの議長に委任されることになった〔http://www.suparco.gov.pk/pages/history.asp〕。
1961年6月7日、空軍准将Władysław Józef Marian Turowiczの指導の下、二段ロケットRehbar-I号がソンミアニ飛行試験センターから打ち上げられた。パキスタンはロケットの打ち上げ運営を行ったアジアで3番目、世界で10番目の国家になった〔。
1964年7月27日、サラームはアイユーブ・ハーンと面会し大統領直属の元にSUPARCOを置くことを提案した。1966年3月8日、大統領は直属の組織としてSUPARCOを設立し〔、大統領命令でPAECから権限が委譲され、サラームはSUPARCOの最初の議長となった。

アブドゥッサラームは宇宙開発の中心をカラチラホールに設立した。サラームの努力によって、カラチ天文台として知られるカラチ大学の高出力天体望遠鏡の開発設置が行われた〔http://worldofaerospace.googlepages.com/Aerospace.htm〕。SUPARCOの設立とともに、パキスタンは宇宙計画を始めた最初の南アジアの国家になった〔。1967年、アブドゥッサラームは空軍准将Władysław TurowiczのSUPARCOの管理者への抜擢に成功し、彼は航空科学分野でのSUPARCOの研究活動の基盤を作った〔。
ムニール・アーマド・カーン(Munir Ahmad Khan)はSUPARCOの研究活動に大きな影響を残した。1979年12月13日、カーンは当時大統領であったムハンマド・ジア=ウル=ハクと面会し、SUPARCOを独立した機関とし、統合した委員会に昇格させる為の尽力に加わった〔。彼の提言を受けて、1980年にパキスタン政府は原子力技術者だったサリーム・メフムド(Salim Mehmud)を委員長とし〔、1981年には宇宙開発実施の執行権限を持つ国家宇宙機関となった。1990年、パキスタン初の国産衛星であるBadr-1が中国国家航天局によって打ち上げられた。
1990年にはイギリスのスペース・イノベーション社(SIL)の技術支援を受けたBadr-Bの打ち上げを計画した。この衛星のサブシステムはSILに製作され、仕上げはSUPARCOによって行われた〔。この衛星は1993年に完成し同年の打ち上げることが期待された〔。1994年に打ち上げる計画も達成できず、衛星は1996年に完成するものの、延期が続いた。1999年アブドゥル・カディール・カーンは陸軍参謀総長で統合作戦本部委員会の議長であったパルヴェーズ・ムシャラフに飛行試験センターからガウリミサイルをロケットにして衛星を打ち上げるための交渉したが、ムシャラフ大統領を納得させることができなかった〔Abdul Qadeer Khan, The Past and the Present.〕。その後ロケットの都合の影響などから打ち上げは伸びたが、最終的にバイコヌールからウクライナゼニット2を利用して2001年に打ち上げられた〔。
近年はリモートセンシング衛星を開発しており、資金の都合がつけば打ち上げられる予定である。2011年8月14日、老朽化したPaksat-I衛星を置き換えるためにPaksat-IRが西昌衛星発射センターから打ち上げられている 。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「パキスタン宇宙高層大気研究委員会」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Space and Upper Atmosphere Research Commission 」があります。




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